高橋家住宅
Takahashi


 
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登録有形文化財 (平成22年9月10日登録)
宮崎県日南市飫肥5-4077
建築年代/明治中期
用途区分/実業家・貴族院議員
登録範囲/主屋・西蔵・東蔵・納屋・離れ及び台所
公開状況/公開

重伝建地区に選定される飫肥城下に所在する商家建築である。町を東西に横断する本町通に面する当住宅は商家でありながら門塀を構える邸宅型の屋敷の様相を呈しており、訝しく思う方も多いに違いない。これは昭和50年代の道路拡幅工事により屋敷前面部を失ってしまった故で、主屋の東南にあった店屋や玄関前の腕木門は取り除かれ、町家らしさを完全に失うことになってしまった。しかし現存する主屋の非常に丁寧な造作を見ていると、この建物だけでも残されて良かったと心底思う次第である。

高橋家住宅は、飫肥城下町の町家筋である本町通りのほぼ中央に南面して立地している。飫肥の実業家で貴族院議員にもなった高橋源次郎が建築した。昭和50年代の本町通りの拡幅工事により、幅3.48mの土地が道路用地となったが、本来間口11間、奥行25間の敷地に、主屋、隠居部屋、氏神、蔵2棟、納屋、炊事場、便所等が配置されていた。現在は取り壊されているが、主屋の南東に、道路に面して2階建の店があった。主屋は明治中期に建てられ、大正4年に修理されたと伝えられる。
本町に面して屋根付き塀があり、当初は玄関近くに入口となる腕木門があった。主屋は玄関から入って6畳、次の間、座敷と続く。また各部屋の襖や廊下の板戸には日本画が描かれている。敷地の中に庭を囲むように主屋、離れ、納屋、蔵が並ぶが、座敷から見える庭は屋根付きの塀で仕切られ、その奥の離れや納屋は見えなくなっている。このことから接客本位の造りであることが窺える。主屋の屋根は寄棟で、飫肥地区において、それまで茅葺であった民家が瓦葺へ転換していく初期の建築としても価値が高い。【現地案内看板より】

高橋源次郎は、慶応2年(1866)、飫肥今町の日高源蔵氏の長男に生まれ、長じて素封家・高橋家を継いだ。年若くして推されて県会議員に当選して参事会員に選ばれ、やがて貴族院議員(多額納税)に挙げられること2期、大いに政界に活躍して国事並びに郷土のため貢献するところがあった。氏は県内財界の重鎮で、日州銀行取締役、宮崎県農工銀行頭取、宮崎県軽便鉄道監査役等の要職を占めていたが、老後はこれらの一切を辞して東京に在住し、晩年、飫肥に帰って昭和18年(1943)77歳で病没した。飫肥の名園「竹香園」は、氏が別邸庭園として明治40年(1907)築造したもので、後に日南市に寄贈されて桜の名所となった。【現地案内看板より】


 

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