二見家住宅
Futami



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宮崎市指定文化財 (平成16年10月13日指定)
宮崎県宮崎市高岡町内山3627
建築年代/安政2年(1855)
用途区分/武士(関所御定番)
指定範囲/主屋
公開状況/公開

鹿児島と佐土原を結ぶ旧薩摩街道東目筋の藩境に所在した去川関所の御定番役を代々務めたという武家住宅である。屋敷は国道10号線から外れた谷筋のやや奥まった場所にあるが、実は当地から境川沿いに田野へ抜ける当家前の道が旧薩摩街道であったらしい。建物は安政2年築の座敷棟と明治28年築の居室棟から成り、分棟型に分類される。座敷は破風付の式台玄関に床を高く上げて上段とする三の間、次の間、本座敷が矩折れ状に配置される。鄙びた場所にありながら驚く程に格式高い住宅である。


二見家は、去川の関所の御定番を勤めた家です。関所が設置された天正年間(1573-1591)以降、代々この地に居住してきました。二見家住宅の建築様式には、「二棟造(分棟型)」と呼ばれる南九州の民家の特徴が取り入れられています。右側の棟は「座敷棟(オモテ)」と呼ばれ、来客を迎える接客空間として利用され、左側の棟は「居室棟(ナカエ)」と呼ばれ、二見家の私的な空間として利用されました。二見家住宅は、同家に残された古文書に「去川御仮屋」と記されています。「御仮屋」とし、薩摩藩では地頭や領主の詰所のことを云い、同様に二見家住宅が公的な「役所」として位置付けられていたことが窺えます。藩主など、薩摩街道を通行する上級身分の者が宿泊・休憩する建物としても使用され、嘉永6年(1853)には藩主・島津斉彬、明治4年(1871)には勅使・岩倉具視がこの建物に立ち寄りました。建築の時期は、解体時の調査、及び二見家文書の記述によって「座敷棟」が安政2年(1855)、「居室棟」が明治28年(1895)と判りました。【現地案内看板より】


 

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