太田黒家住宅 Ootaguro |
登録有形文化財 熊本県菊池市重味字中鶴2585-1 建築年代/江戸末期 用途区分/番所役人 登録範囲/主屋・蔵 公開状況/非公開 菊地市街から阿蘇・日田方向に抜ける山間部に所在。 屋敷前を通る国道は旧日田街道。 屋敷の道路を挟んだ向い地に交番があるので、やはり交通境界として何らかの意味を持つ土地柄であったのだろうか。 屋敷前を走る国道との境界には石垣が築かれ、深い濠のようになっているが、そもそもは国道の高さが低かったころには石垣が築かれて、今よりも威容を誇っていたのかもしれない。 切妻造で四方に下屋を廻すが、近在の一般農家とは明らかに異なる建前である。 生味番所(おうみばんしょ) 肥後藩における番所(関所)は、その重要性によって上・中・下の3種に区分されていたが、生味番所は中関であった。日田往還(豊後街道)はこの関から①板井原--馬見野--兵藤峠--上津江村程野--日田豆田町、②立門眼鏡橋--伊野--木地屋--日田豆田町、立門眼鏡橋--竹之牧眼鏡橋--杉尾--楮畑--小国 の2つに分かれるが、ここで通行人の監視と搬出人物資の取締りを行った。この番所の役職は世襲で、大田黒、笠の両氏が一日交替の日番で行い、明治維新の際まで続いたという。文化6年の「河原手永鑑」によれば、備品として突棒1本、刺又1本、ひねり1本、槍2本があり、両役人とも今の年俸にあたる待遇は、切米5石、2人扶持であった。なお、永山、伊野、竹之牧には、それぞれ補助的な関所である御口番所があった。【現地案内看板より(一部改編)】 |