薫長酒造
Kunchou



 
無指定・公開
大分県日田市豆田町6-31
建築年代
用途区分/商家(酒造業)
残存建物/北蔵・中蔵・穀蔵・造り蔵・南蔵
公開状況/公開 【クンチョウ酒造資料館】
昭和7年以降は現在の薫長酒造を経営する富安家の所有となったが、嘗ては日田の掛屋として名を馳せた千原家が経営する酒造施設であった。


千原家の祖先は、天文年間に佐賀の龍造寺家に滅ぼされた筑後柳河城主・蒲池鎮漣の遠縁に当たる蒲池志摩守鎮広の第二子鎮基で、天正年間に帰農して筑後国三井郡千原村に土着して千原姓を名乗ったという。その後の慶長年間に豊後日田に移り、農業に勤しむと同時に醤油や油の製造販売も手掛け、次第に富裕になったという。千原家は2代・善右衛門は油屋の屋号を名乗っていたものの、元禄年間に農から商へと主軸を転じて以降は丸屋と称した。正徳-宝暦年間に19件、明和-文化年間に67件、文政-慶応年間に233件の土地譲渡・質入・買取を請けて大地主化している。6代目は日田郡代より御物成銀改役、京都長崎御廻米取扱いを命ぜられ、遂には日田西国郡代の掛屋として特権商人として成長している。経営は酒造業を主業としながらも、大名貸や櫨蝋や瓦の取扱いにまで及んでいる。
千原家の名声を確たるものにしたのは、第12代・千原幸右衛門で献金により慶応6年(1865)に孫代まで苗字帯刀御免、一人扶持、翌々年には永代苗字帯刀御免となっているが、大名貸により福岡・秋月・久留米・小倉の西国各藩に大名貸により結びつきを深めたが、維新により殆どの返済はなされず、大損害を蒙っている。




 

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