井上家住宅
Inoue



 
無指定・公開 (清渓文庫)
日田市大字大肥2220-1
建築年代/
用途区分/酒造家

「角の井」の名称で酒造業を営む。「角の井」は創業当初から四角形の井戸を仕込に使っていたことに由来する。

井上準之助について (経世家 1869-1932)
明治2年当時の日田県日田郡大肥村(現・日田市大鶴町)の当家に生まれる。明治29年東京帝国大学法科を卒業後、日本銀行に入社。後に日本銀行総裁に2度就任する。
大正12年関東大震災復興の山本権兵衛内閣の大蔵大臣として、人心の不安を抑え、財政再建の手腕を発揮。
昭和4年には浜口雄幸内閣の大蔵大臣就任。積極的な金解禁の必要性とそれに対処する国民の覚悟を訴え、金解禁を断行、同時に財政緊縮政策を進めた。昭和6年でも第2次若槻礼次郎内閣の大蔵大臣に就任。財政緊縮策を継続するも、若槻内閣は総辞職。昭和7年犬養毅内閣成立時には、組閣早々金解禁反対の立場で金輸出再禁止実施。議論し国民に是非を問いただすべく議会を解散。昭和7年2月9日その選挙演説会場で準之助は暴徒に撃たれ、62歳で非命に倒れた。準之助は「清渓」の号で優れた書家でもあり、「深思高飛」の額を残している。まさに自分にとって、また国にとって是と信ずれば、それがどのように自分にとって不利をもたらそうとも、あくまでも遂行する信念を持った実践の人であった。【現地案内看板より】



 

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