一松家住宅
Hitotsumatsu



 
無指定・公開
大分県杵築市南杵築193-1
旧所在地・大分県杵築市南杵築
建築年代/昭和4年(1929)
用途区分/法曹家・政治家
残存建物/主屋
公開状況/公開
重伝建地区に選定されている杵築城下町の南台地区に移築保存されている政治家・一松定吉氏の旧宅である。一松定吉氏は明治28年に大分師範学校を卒業後、小学校教師を経て法曹界に転身、大審院の検事を務めた後、昭和3年(1928)に衆議院議員に当選して以降、衆議院議員として連続8回、参議院議員として連続2回の当選を果たし、逓信、厚生、建設の各大臣となった立志伝中の人物である。建物は昭和4年8月の竣工ではあるが、起工は昭和2年9月であったことから、政治家として名乗りを上げる前後の最も脂の乗った時期に整備されたものとなる。一松家は杵築藩の下級武士の家柄であったが、封建制崩壊の恩恵を受けて地元随一の立身出世を遂げた彼は、その実力に相応しい大邸宅を建てたという次第なのであろう。城下に残る藩政期の家老級の武家屋敷群と比較しても比較にならない程の御殿建築振りであるが、惜しむらくはこの時期の近代和風建築として定型的な建前に終始しており、施主としての拘りを建物から感じることはない。存命中の昭和32年には地元・杵築市に屋敷を寄贈していることからも、意外に屋敷に対して淡白な想いしか抱いていなかったのかもしれない。


(杵築市観光協会発行の杵築ガイドブックより抜粋)
一松邸は、杵築市の初代名誉市民となった一松定吉氏の邸宅で、昭和32年に杵築市に寄贈後、市民が集う「一松会館」として開放されてきたが、その後、杵築城と海を臨む絶景の現在地に移築された。その邸宅は、杉の柾目の一枚板を敷いた縁側、格天井を客人用のトイレに施すなど、贅沢で洗練された趣が屋敷を包んでいる。



 

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