千葉家住宅
Chiba



玖珠町指定文化財 (平成26年3月24日指定)
大分県玖珠郡玖珠町森上谷
建築年代/江戸期
用途区分/武家(家老)
指定範囲/主屋・薬医門・蔵
公開状況/非公開

鉄道愛好家の間では旧国鉄の機関庫転車台(登録有形文化財)が残ることで知られる豊後森町は、山間にありながら久留島藩12500石の陣屋町として発展した土地柄で、その立地条件ゆえに近代の開発の波に曝されることなく、今でも往時の風情を強く留めている美しい場所である。町場の中心であった陣屋跡は建物は破却され三島公園と化したものの、その北方の上谷地区には、狭隘な谷筋を遡る道に沿って今でも数軒の武家屋敷が点在している。今ではトタン板に覆われてはいるものの嘗ては茅葺であった小規模な鍵屋造の建物が規則性なく散在している風情は、土地の事情を知らぬ者には単なる鄙びた農村集落と錯覚してしまうが、家老職を務めた当住宅の存在に代表されるように歴とした上級家臣住区であった。ただ、そもそも伊予水軍として名を馳せた久留島家は、関ケ原合戦後の国替えにより玖珠に入部した際の家臣団は30名程度の規模であったといわれ、幕末期の文化8年(1811)でさえも、徒士以上の武士は110名程度と極めて小規模であり、あまり組織としての体を成していなかったようである。故に現在に残る各々の武家屋敷や屋敷街にも全く武張った様子が無いことも納得されるところではある。自然の地形に逆らうことなく屋敷地を形成する様子に久留島家臣団の有り様を見る思いである。さて当住宅については、あまり詳らかな資料がない。南に面して小振りな薬医門を構え、石段を上って一段高くなった場所に東面する主屋が配される。平入の建物ではあるが、前方に突き出した角屋の脇に、今ではサッシに改められているが、式台玄関が設けられていたようである。また主屋の南西に小振りな土蔵が設けられているが、表門と主屋が江戸期の建築に対して、こちらの土蔵は明治期とされている。
 

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