長与専斎旧宅 Nagayo Sensai former house ![]() |
大村市指定史跡 長崎県大村市久原2 旧所在地・長崎県大村市片町(明治33年移築) 建築年代/天保初年(1830頃) 用途区分/医師 指定範囲/主屋 公開状況/外観のみ (松香館) 国立長崎医療センターの入口左手に移築保存されている。 この旧宅は、長与専斎の祖父・長与俊達が天保年間、片町に家屋を与えられ「宜雨宜晴亭」と呼んだ屋敷である。 長与家は代々医者の家系で、祖父・俊達の時に大村藩10代藩主・純昌の御典医となり、専斎は天保9年(1838)にこの家で生まれ、父で医師でもあった長与中庵が早くに亡くなったため、祖父・俊達に育てられました。藩校・五教館に学び、安政元年(1854)大阪の緒方洪庵が主宰する適塾に入門し、後に塾頭を務めた。万延元年(1860)、大村に帰藩後は長崎のポンペ医学伝習所で蘭医学を学び、明治元年には長崎病院長に選ばれ、長崎医学校(現・長崎大学医学部)学頭になりました。明治4年に上京し、文部省医務局長、内務省初代衛生局長を歴任、明治新政府の医療制度整備に関わり、医師の免許制度を整え、伝染病の予防や上下水道の整備を進めるなど我が国の衛生行政の基礎を築いた。「衛生」という言葉は専斎が作った言葉である。 |