横大路家住宅
Yokoooji



国指定重要文化財 (昭和52年1月28日指定)
福岡県糟屋郡新宮町上府420

新宮町は県都・福岡市の中心部から東北へ約10kmほどの人口2万5000人ほどの小さな町である。しかし町の中心を九州地方の大動脈・国道3号線が縦断するため、車の往来も激しく、近年には郊外型の大型店舗が乱立するばかりでなく、住宅地の乱開発も進み、著しく環境が損なわれる状況にある。
しかし、国道3号線から少しばかり東の脇に入った場所に所在する当家の周囲のみは昔ながらの田園風景が残されており、以前にはあったはずの、古き良きのどかな農村の姿を垣間見ることができる。
当家の由緒・来歴については、数多くの文化財指定の民家の中でも指折りに面白いものである。歴史は平安時代にまで溯る。かの有名な伝教大師・最澄が唐での修行を終え、日本に帰国した際、布教の地を決するために持っていた独鈷を空に向かって投げ、落ちた場所を探していたところ、近在の猟師がこれを見つけ、最澄をその場に案内したという伝説が地元には残されている。その場所は今でも町内に残る独鈷寺という寺院らしいが、このとき案内役を務めた猟師が当家の祖先で、そのとき最澄は案内の礼として唐から持ち帰った毘沙門天像と法灯を当家にもたらしたということである。この法灯は、当家において現在に至るまで絶えることなく燃え続けており、戦国時代の織田信長による叡山焼き討ちの際に途絶えた延暦寺の法灯を再び当家がもたらしたという逸話さえも残されている。1000年以上の長い年月にわたり、一般庶民が灯火を守り続けたわけである。気の遠くなるような話である。私が訪問した際も、土間に据えられたカマドの灰の中に熾火が残されており、御当主はこの火を絶やすわけにはいかないので、夫婦一緒に旅行したことがないとおっしゃっておられた。誠に持って頭の下がる思いである。
ところで当住宅は江戸時代初期の建築と伝えられる。長く「千年家」と称され、平安時代より建て替えられたことがないなどと云い伝えられたこともあったようであるが、古い歴史を持つ家という意味で捉えるべきであろう。この地方に多く見受けられる鉤屋と称される造りであるが、土間も広く、上屋柱の省略も少ないことから、初期の例とされている。外観からだけでは判じ難いが、内部に入ると確かに古い雰囲気にあふれている。この古さで文化財として本格的な修理を施されていない家は珍しく、かつ生活感が漂う貴重なものである。実際に生活している民家を内部まで公開されておられる例は少なく、御当主には頭が下がりっぱなしである。大都市近郊で、これほどまでに往古の風情を保った民家は本当に貴重である。
* * * * * * * * * * * *
残念ながら2000年に、当家にもとうとう修理の手が加わることになった。修理後に訪れた際には、率直な感想として民家が死んでしまったような印象を受けた。さらに残念なことに、2010年第44代当主の奥様が亡くなられ、長く保ち続けてきた法灯は、熊本の天台寺院に移されることになった。近年ほど時の移ろいが激しいことは、かつてないことなのであろう。  (写真は修理後の姿・2011.3.6修正)