田代家住宅
Tashiro



朝倉市指定文化財 (平成17年11月1日指定)
福岡県朝倉市秋月180-1

福岡藩の支藩・秋月藩黒田家5万石の陣屋町・秋月は平成10年に重要伝統的建造物群保存地区に選定されたが、当家は地区内の南西端に所在する旧武家屋敷である。陣屋跡からはちょうど西の方角に当り、月見坂と称するなだらかな坂を登りきった、盆地状の町全体を見晴らすような丘陵地に屋敷は構えられる。
この付近は、町のはずれで観光客もあまり来ないため静かで落ち着いた城下町らしい風情に浸ることができる一画で、秋月城下でもっとも品良き場所ではないかと個人的には思っている。
当屋敷は近年までは一般公開されていなかったため、赤い波板屋根に覆われた姿を土塀越しに拝見するに止まっていたが、平成13年に地元の甘木市に寄贈され、平成19年からは3年越しの修復工事が行われ、公開されることとなった。
当家を訪れて、まず驚かされたのが意外に複雑な屋根形状である。塀越しの外観から直屋に台所棟を背後に突き出すL字形状の曲屋と思われた建物は、ユの字形状から更に角屋を突き出す類を見ない屋根形状となっており、きわめて興味深い。また間取りも座敷部分の独立性が高く、奥向きの日常生活音から完全に隔離され、体面を重んじる武家住宅らしい配慮がなされているにも関わらず、違い棚や長押も無い意外に粗末な造作であったりする。この辺りの事情については秋月城下が度々大火に見舞われたことと密接に関係しているのかも知れない。事実、当住宅の主であった田代家においては、江戸期を通じて5回も火事に遭っており、家の造作に金をかけるなど、とんでもない話であったのかもしれない。ちなみに当住宅自体は4度目の火事により文化6年(1809)に屋敷替えとなって以来所有した屋敷で、一度火事で焼失したのちの文化12年(1815)に再建されたものと考えられている。
ところで田代家は、知行150石の馬廻組頭や御鉄砲頭などを務めた上級武士であったが、奇妙な来歴を持つ家である。
当家は秋月藩成立時に本藩である福岡藩から付けられた2000石の筆頭家老の3代目・田代政直の弟・政招を初代とするが、兄である政直は付家老であるにも関わらず、貞享元年(1684)、2代藩主長重公により福岡本藩に戻され、その後の元禄3年(1690)に兄に代わって弟の政招が僅か100石(のちに加増)で召抱えられたという経緯がある。背景に福岡本藩と秋月藩の関係が極度に険悪化していたことや秋月藩自体の財政事情の悪化などがあったのではないかと思われるが、当の田代家にとっては複雑な心境であったに違いない。その後の170年間にわたる主従関係を田代家の人々はどのような気持ちで過ごしたことであろうか。 (2010.12.26記)


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