高崎家住宅
Takasaki



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北九州市指定文化財 (平成6年3月30日指定)
福岡県北九州市八幡西区木屋瀬4-12-5

江戸時代における海外との唯一の窓口であった長崎と九州地方の表玄関であった小倉を結ぶ長崎街道の沿線には、南蛮文化の往来により、その影響を色濃く受けた遺物や遺跡が数多く残存しているようにイメージしがちであるが、実際には殆どそうした痕跡は残されていない。それどころか街道の宿駅として町場が形成されたはずの場所からも殆どの町家は失われ、昔日の面影は無いに等しい状況である。長崎という江戸期においては特別な町が、その特権を失ったとき、日本列島の端に位置する九州地方の街道筋の家々は、急速な凋落に抵抗する術を持ち得なかったのであろうか。
しかし街道の起点となる小倉から2つ目の宿となる木屋瀬宿の存在は、今でも往時の姿を残す唯一例外的なものである。村庄屋や船庄屋、問屋場の各屋敷が残り、宿場としての風情を今でも十分に感じることができる。
当住宅は、そんな宿場の中に残る、比較的規模の大きな建物で、江戸期には絞蝋業を、明治に入ってからは醤油醸造業を営んでいた商家である。市の民俗文化財に指定される「板絵着色木屋瀬宿図絵馬」には、在りし日の木屋瀬宿の姿とともに当家の屋敷群がはっきりと描かれており、主屋の裏手には数多くの蔵が建ち並び、遠賀川の堤防近くまで屋敷地が広がる宿内でも有数の大商家であったことが良く判る。
建物は天保6年(1835)の建築であることが小屋梁に残された墨書より判明しており、建築年を特定できる貴重な存在でもある。
しかし内部の造作に関しては意外と簡素なもので、建物の要となる座敷にしても、床の間だけが整えられ、違い棚や書院も無く、長押さえも廻らぬ、至って平凡な設えである。街道筋の商家だけに、控え目な建前に徹したのかもしれない。
ところで当家の5代目の高崎英雄氏は昭和の戦前・戦後に活躍した放送作家で、伊馬春部の筆名によりNHKのラジオドラマを数多く執筆したことで知られている。伊馬春部氏が東京で活躍したため、当家は貸家としてかなりの改造が行われていたが、昭和43年に地元へ寄贈され、平成9年の修復工事により旧に復された。あまりにも綺麗に直されてしまったので、今は新築の町家のようで少し落ち着かない雰囲気だが、しばらくすると好い塩梅になるであろうか。(2010.12.10記)

 

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