中島家住宅
Nakajima



国指定重要文化財 (昭和52年1月28日指定)
福岡県田川郡添田町大字添田1860

当家が所在する添田の町は小倉から英彦山に至る街道筋に営まれた宿場町である。町の中心を貫く県道52号線は香春八女線と称して延長距離80km近くもある、往時には福岡県の南北を繋ぐ大縦貫道であったし、北九州市の小倉駅と大分県の日田駅を結ぶ国鉄の日田彦山線だって町の中心を通っている。これらの交通のちょうど中間地点に位置するのが添田という町で、今ほど人々が急いでいなかった時代には、それだけのことで町が発展するに足る理由となったに違いない。また町の南部に聳える霊峰・英彦山には云わずと知れた英彦山神宮が鎮座しており、往時は門前町的な役割を担っていたことも忘れてはならない。
しかし国道が別ルートで敷設され、英彦山へ徒歩で参拝するような奇特な輩もいなくなってしまった現在、町はその役割を失い、かつての賑わいは既に見られない。当家が所在する南北に伸びる旧宿場筋界隈も今はひっそりとして、時を刻むことを止めたような風情である。
さて当家は屋号を「和多屋」と称する商家で、江戸時代には櫨蝋の製造販売や質屋を、明治初年から大正8年頃までは酒造業を、その後は醤油醸造業を営まれたとのことである。こうした来歴により屋敷内には酒蔵や醤油蔵と称する付属建物が残存し、主屋と併せて重文指定されているが、これらの建物は19世紀前半の建築と推定される主屋よりも少しばかり古いと考えられているので、本来は櫨蝋の製造など別の用途に用いられたものであったかもしれない。
一方、主屋は平入の一部を二階建てとする建物で、妻入の町家が多い宿場町の中では屋敷の間口も広く、また建物も上質で際立つ存在である。現在も家人が住まわれているので、重文指定の看板も解説板も一切立てられていないが、一目で文化財級の建物だと判る代物である。
外観は主屋前面に下屋が大きく張り出されていることが第一の特徴である。正直なところアンバランスな程の張り出し具合である。この下屋部分には店之間と土間が設けられているが、ひょっとすると、この部分は後代になって付け足されたものかもしれない。
また室内は六間取りの母屋に下屋による拡張部の空間が付属する形態となっているが、この六間取りの形式は近隣の農家建築にも見られるものらしく、すなわち町家でありながら農家の間取りの影響を受けているとの指摘がなされている。更に土間寄りの四室部分は根太天井として2階が設けられているが、奥側の二室、すなわち座敷、仏間となる空間には2階は設けられていない。外観において棟落ちしている平屋部分が、この二室に該当するわけであるが、一般の商家でありながら、こうした格式ある配慮がなされている辺りは、さすがに苗字帯刀を許された家柄だけのことはある。
建屋全体は白漆喰の塗屋であるが、格子窓や下見板張りの腰壁、真壁造の土塀など、随所で木部を露わにしての白黒のコントラストが強調される意匠としている。やや硬質な趣も感じないではないが、町家建築としては稀に見る侵し難い雰囲気を持つ民家だと感じている。(2011.5.8記)


 

一覧のページに戻る