永沼家住宅
Naganuma



国指定重要文化財 (昭和52年1月28日指定)
福岡県京都郡犀川町大字帆柱721番地

当家が所在する帆柱集落は、九州北部を代表する霊峰・英彦山の北側の谷筋にある小さな村である。祓川沿いに形成される河岸段丘状の僅かばかりの土地を拓き、田畑としてきた先人の苦労が偲ばれるような山間ではあるが、修験の地として険しい表情を見せる英彦山の容姿とは対照的に、当家の周囲のみは山の傾斜が比較的緩やかなことを幸いに、広範囲にわたって開墾が進んだようで、山里の穏やかな雰囲気に溢れたところである。
さて当住宅は、その祓川の西側の河岸に石垣を組んで造成した高台に屋敷を構えており、英彦山側から下ってくると遠目からでも山を背にした主屋の大きな茅屋根がはっきりと見て取れる。並外れて立派な建前なので見落とすことはない。平地の少ない山間部にありながらも、ゆったりとした屋敷構えは、代々帆柱村の庄屋職を務めた家柄の成せる技で、屋敷前の石垣に使用されている石も一つ一つが民家に使用されるものとしては、かなり大振りなもので、そのためか石を積んだというよりも置いたという形状に近い石垣である。この石垣が往時からのものであるか否かは、修理報告書等にも一切触れられていないので定かでないが、あまり類例をみないものであることだけは確かである。
現在、主屋以外の建物は屋敷地内には残されておらず、少々寂しい感じもするが、家人のお話では、以前には主屋の東側に蔵があったとのことである。民家緊急調査報告書に掲載されている昭和37年ごろの遠望写真には、既にそうした付属建物は写ってはいないため、早い時期に解体されたのかもしれない。ただ、その残された主屋は端正な安定感のある落ち着いた雰囲気で、見飽きることがない良い建物である。九州地区における文化財民家の中でも、茅葺農家建築単体の美しさとしては随一のものではないだろうか。
さて建物については天保10年(1839)に建てられたことが普請帳により判明している。この地域の庄屋階級の典型的な建物らしく、主屋正面のやや上手に式台玄関を設ける。座敷は前後2室から成り、奥座敷は床・違い棚・書院を設ける本格的なものである。
土間も十分に広く、9寸角の大黒柱や二重に架された梁や桁も重々しく、なかなかに見応えのある構成である。一般に幕末に向かって民家の建前は完成形に近づいていったとされるが、その中でも当住宅は庄屋階級の建物として封建制度の数多き制約の中で、可能な限りに格式と威厳を演出することに成功した事例ではないかと思われる。
ところで、当家とは直線距離で約4km程のところに、後掲する数山家住宅(国重文指定)が所在する。両者は共に英彦山の北方の山中にありながら谷筋が別れるため、まるで雰囲気を異にする建前である。建屋の規模は双方とも桁行20m前後で変わらないし、建築年代も同じ天保年間であるにもかかわらず、外観の雰囲気、内部の造作はまるで別モノである。この辺りの違いを両者比較しながら楽しめると良い民家探訪になるに違いない。但し、両家の訪問は英彦山の中腹まで道を迂回せねばならず、道幅が狭いうえ、やたらにカーブが多いので車の運転に自信のない方にはオススメはしない。(2011.5.11記)

 

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