隈本家住宅
Kumamoto



福岡県指定文化財 (平成)
黒木町指定文化財 (平成5年9月27日指定)
福岡県八女市黒木町大字今1053

当家は平成21年に国の重伝建地区に選定された黒木町黒木の町並の北方300mほどの山麓集落に「学びの館」の名称で保存公開されている民家である。
町の南方を流れる矢部川の河岸段丘に、川から産する玉石を積み上げた独特の石垣により屋敷地は造成されており、堂々たる白漆喰の妻壁を持つ大屋根は遠くからでも、はっきりとその姿を捉えることができる。重伝建地区の建物の特徴は居蔵造と称される入母屋妻入りの大壁造の町屋であるが、当住宅は大地主の居宅として農家建築の系統に属するものである。
当家の歴史はそれほど古いものではなく、江戸時代末期に八女市新庄より分家した初代・隈本儀三郎により始まり、当住宅も彼により文久3年頃(1863)に建てられたものらしい。但し完成までに13年程の歳月をかけたというから、いったいどのような事情があったのかと思うが、建坪が114坪もある建築なので、江戸期という時代を考えれば、かなりの大普請であったことは確かである。建築材の大半は地場産材を使用しているということなので、こうした用材の調達に時間を要したのかもしれない。事実、居間の四周を廻る鴨居の厚みは見事なものである。
当家は農家建築の系統に属すると前述したが、一般の農家と比較すれば、かなり変わった間取りとなっている。大戸口に向かって鍵方向に式台玄関が設けられ、これより一直線に3室続きの座敷が設けられるなど、江戸期の農家建築としては考えられない配置である。当家は明治30年頃に増改築したことが記録されており、恐らくこの時に増築されたものではないかと勝手に想像しているが、根拠はない。しかし、明らかに居間や土間に接する日常生活空間と座敷部に連なる接客空間とは全く異質なものであり、どっしりと落ち着いた風情を醸す日常生活部と吟味した材料を用いながらもどこか安直な印象を受ける座敷部とは、その目的の違い以上に何らかの隔たりを感じてしまう。
ところで当家は大地主であるとともに、漢学者を代々輩出してきた家柄でもあり、主屋内には漢籍などを中心とした資料もたくさん展示されている。どうやら隣接する収蔵文化財展示場に詰める館長さんが相当に熱心な方のようである。文化財保護に熱心な町の姿勢が伝わってくる訪問になること請け合いである。(2010.12.7記)

※八女市役所が開設するHPによれば、当住宅の建築時期については明治16年とされ、初代が分家した時期についても明治2年と記されています。黒木町文化財指定時とは異なる資料が出てきた可能性があります。(資料については未確認です)  

 

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