伊藤家住宅
Itou



国指定重要文化財指定予定
飯塚市指定文化財 (平成18年9月26日指定)
福岡県飯塚市幸袋300番地
建築年代/明治30年代
階層区分/実業家(炭鉱主)
指定範囲/主屋・表物置・道具蔵・骨董蔵・事務室・書生室・長屋門 計7棟
公開状況/公開
明治中期から昭和初期の実業界で活躍し、「筑豊の炭鉱王」と称された伊藤伝右衛門の本邸である。筑豊地方の中心都市・飯塚市の中心部から北へ約2.5kmほどのところ、国道200号線から脇道に少し入ったところに、まるで大名屋敷の長屋門と見紛うような表門を構えた大邸宅が所在する。10年以上前に初めて屋敷前に立った時は、その圧倒的な佇まいに度肝を抜かれる思いであったことを覚えている。と同時に、何故こんな脇道に面した寂しい場所にわざわざ屋敷を構えたのだろうとも思ったが、実はこの道こそが旧長崎街道であったことを後日知った。明治30年代の建築なので近代和風建築に分類されるが、主要な建物だけでも応接室や書斎がある南棟、台所や食堂などがある西棟、座敷や主人居間がある北棟など近世民家とは全く異なる大規模な造作である。建物の延床面積が約300坪もあるというから、驚くと云うより呆れる。ところで石炭王・伊藤伝右衛門という男については、日本が列強世界の一員として飛躍する時代の中にあって、まさに立志伝中の人物ともいうべき存在で、魚の行商を生業とする貧しい家庭に生まれながら、父親とともに石炭鉱山を掘り当て、果ては貴族院議員にまで立身したことで知られる。一方でその出自や自身を取り巻く環境から、粗野な一面がクローズアップされることもあるようだが、しかし当住宅の造作を見る限り、私には彼が非常に洗練された素晴らしい審美眼の持ち主であったように感じられる。金の力がこれだけの建築を残したのか、それとも伊藤伝右衛門という人物が、実は優れた素養の持ち主であったのか、詳しくは知らないが、超一級の優れた住宅であることだけは確かである。(2010.11.19記)

 

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