今里家住宅
Imasato



八女市指定文化財  (平成19年1月11日指定)
福岡県八女市本町240-1
建築年代/天保9年
指定範囲/主屋・離れ・附/渡り廊下 計3棟
私が最初に八女福島の町を訪れたのは平成14年5月の重伝建地区に選定間もない頃であったと記憶している。その当時の町並みには未だ修理等の手は一切入っておらず、往時からの佇まいが品良く残されており、ギリギリのところで町が生きていたように感じられたものである。その際にぶらぶらと町中を歩く私に、文化財指定前であったにも関わらず「家の中を見ますか」と声をかけていただいたのが当家の御主人であった。家の話はもちろんのこと、商っておられた提灯や仏壇等に用いられる飾り房の用途拡大に何か良い知恵はないかといったお話をさせていただいたことをよく覚えている。古い町家を維持されるだけでなく、地場産業を支えて地域に多大な貢献をされておられる姿に頭が下がる思いであった。
さて当家は、町を東西に横断する旧往還道に面した北側に所在する。この付近の町割は街道に面する各戸の間口は狭く、縦長の短冊形状となっており、いわゆる「鰻の寝床」と称される敷地に表に主屋兼店舗を構え、背後に中庭を挟んで離れを設けている。こうした町割形状は街道筋の町場では、どこにでも見られる一般的なものであるが、敷地形状に合わせるかのように、主屋の棟までが極端に縦長となる姿は、あまり他では見受けられないものである。梁間に対して桁行が、これほどまでに長い町家建築は当地方独特の造作といっても差し支えないであろう。
街道に南面して建つ主屋は、入母屋造桟瓦葺きの重層屋根で、壁面は白漆喰の大壁造とする妻入り建築である。また左右両側面に深い下屋を葺き下ろす姿は、一見すると関東地方の農家建築に見受けられる甲屋根と称される形状に類似するが、八女地方の商家建築として典型的なもので、「居蔵建」と称される様式となる。建築当初は現在の姿とは異なる形状をしていたようで、天保9年に「居蔵建」に改築されたことが記録されている。こうした改造の第一義は火事による延焼を防ぐためと考えられるが、厚く白漆喰で塗り籠めた重厚感溢れるその姿は、十分な富の蓄積を果たしたが故の結果であることをも感じさせてくれる。また主屋側面部の腰壁部分は海鼠壁となっているが、通常とは異なり、平瓦の代わりに平板状の緑頁岩が貼られている。この手法は八女福島や黒木近辺の大店に限って見られるもので、地域色が極めて濃く顕れた造作である。他家では大小の大きさが整わない自然石を用いて、その形をなぞらえるように漆喰目地を盛るが、当家の場合は瓦状に四角く整形したものを用いる。そこに厚く盛られた白漆喰の目地山には、きっと誰もが驚かされるはずである。
当家は、できれば現代の稚拙な左官技術で修理などせずに、ぜひ現状のまま保存してもらいたい住宅である。そうでないと、この家の醸す重厚感が損なわれてしまうことを恐れるからである。  (2011.1.10記)

建築当初は山形屋を称した小山田家の建物で、明治40年に房飾りの製造販売として創業した今里長三郎商店が昭和初期に譲り受けた。

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