油屋
Aburaya



 
小郡市指定文化財 (平成13年12月20日指定)
福岡県小郡市松崎786-1
建築年代/不詳、但し座敷部は嘉永2年(1849)
用途区分/旅籠
指定範囲/主屋・座敷
公開状況/公開
小倉と久留米を結ぶ秋月街道・松崎宿内に所在する旅籠の遺構である。秋月街道は現代の幹線からは外れたため、沿線の開発が進んだわけでは決してないが、時の流れは住宅の建替えを思いのほか進めたようで、宿場には往時の建物は殆ど無く、宿場への入口を示す南北の構口と当家のみが辛うじて残されているに過ぎない。ちなみに旅籠に限った話では、幕末の慶応年間の記録では宿内に26軒の旅籠が営まれていたとのことである。当家は南北二棟の建物から構成されており、南側のトタンで覆われた主屋が一般旅客の宿泊棟で、北側のセメント瓦の載る棟の低い建物が武家などの上級階層の旅客が宿泊した角座敷棟である。明治維新前後に各棟が独立して別々の経営となっていたが、本来は「油屋」という屋号の一軒の家であった。道路を挟んで向かいに在った本陣に次ぐ格式を有した旅籠ということで、西郷隆盛が宿泊したという伝承を持つほか、西南戦争の折には乃木稀介が昼食をとったという記録も残されている。旅館の営業は大正末期まで続き、太平洋戦争中は太刀洗航空廠・技能者養成所の独身寮、終戦当時は帰国を待つ朝鮮人家族寮、その後は芝居小屋や食堂、電器屋として用いられたとのことである。平成3年には台風19号による茅葺屋根の大半が吹き飛ばされるなど災厄にも遭い、幹線から外れたとはいえ前面を走る道路は結構な往来で、建物の傷みは激しく崩壊の危機に曝されている。

【参考文献】秋月街道をゆく  海鳥社発行 秋月街道ネットワークの会編 
 

一覧のページに戻る