正木家住宅 Masaki ![]() |
登録有形文化財 (平成29年10月27日登録) 愛媛県北宇和郡松野町大字松丸86 建築年代/江戸末期 用途区分/酒造業 登録範囲/店舗兼主屋・会所場、釜場、煙突・貯蔵庫・仕込庫・生酒庫 公開状況/非公開 幕末の安政6年(1859)創業の酒造屋敷である。正木本店とも称し、嘗ては和泉屋カネイの屋号で「伊豫美人」という銘柄の酒を醸造・販売していた。当住宅が所在する松丸集落は、宇和島城下から東方の山間に入った鬼北盆地の東端に位置する在郷町で、宇和島藩と土佐藩を結ぶ土佐街道の一部を構成する松丸街道の宿場として栄えた土地柄である。藩政期には宇和島藩領に属し、宇和島藩としては土佐藩との藩境に近い立地を重要視して、中世に周辺を領した渡辺氏の居館を中心に自然発生した街村をそのまま活かして在町として整備を図ったようである。宇和島方面からは土佐国の梼原に繋がる国道320号線から鬼北町の出目で分岐する国道381号線に入り、更にその少し先で枝分かれして松丸旧市街方面に至るバス道を辿ること約1.2km程の山手側に、大振りな土蔵群と目に眩い白漆喰の妻壁を備えた主屋から構成される美しい屋敷が現れる。それが当住宅・正木家である。屋敷地を取り囲むように仕込庫や貯蔵庫といった大規模な建物群が重なり合うように配置され、遠目に高さ14mの煙突も視認できるので、一目で酒造屋敷と判る存在である。旧松丸街道に沿う屋敷の東角に配置される建物が店舗兼主屋で、北側の店舗部は切妻造桟瓦葺平入、外壁を白漆喰で軒裏まで塗り込める塗籠造とし、正面には玄関を除いて連子格子が並ぶ。妻側も白漆喰の大壁とするが、腰壁は押縁下見板張りとする。。また店舗部の上手側に直続する座敷部は入母屋造で下屋庇を取り廻し、表側には開口部を設けず、白漆喰壁に腰板を簓子下見板張とし、大振りな肘木で下屋庇を受ける。内部は奥に向って3間続きの座敷が設えているが、店舗部の間取りとの連続性が希薄なので、後補建物の可能性もあるのではないかと見立てられる。 私が最初に松丸集落を訪れたのは、平成に改元されて間もない頃であったと記憶している。犬伏武彦先生の名著「民家ロマンチック街道-伊予路」に掲載されている三間町是能の毛利家住宅の記事内容に魅了され、文化財指定前であったにも関わらず訪れた際、併せて三間盆地~鬼北盆地の各集落を廻り歩いたときであった。何の予備知識もないままに見た松丸の町は、土佐街道の小規模な宿場町の風情と共に、街道に沿って主屋と土蔵、板塀が連なる正木正光商店の屋敷構えがひときわ重厚感を醸し、中山間地の町場にしては並大抵ではない風情を感じさせてくれるものであった。この正木正光商店の屋敷に連なって嘗て豪商と称された他の家々が街道に沿って建ち並んでいたらしく、今も現存する隣家の岡田本家は岡清の屋号で製蝋業や問屋を営み、その他にも岡田分家等の町家建築が各々に個性を発揮しながらこの一帯に集積しているため、ここが町場の中心地であったことは容易に想像が付く。ちなみに正木正光商店は、現在も「鬼ころし」の銘柄で酒造を行っており、現役の酒蔵が屋敷背後に所狭しと並んでいる。しかし、この稿の主役である正木家住宅は、この中心地にはなく、少し離れた町場東端の低い位置に所在している。即ち正木正光商店の西方で街道が矩折れし、東の方角に緩やかな下り坂を降った先に屋敷を構えているのである。その立地条件から私は正木正光商店が古く、当正木家住宅が新しい屋敷だと思い込み、同じ正木姓であることから正木正光家を本家、正木家を分家と勝手に勘違いをしていたが、平成29年に当住宅が登録有形文化財として答申された際の情報により、全て間違いであったことが今更ながらに判明した次第である。 ここで少し整理しないと判りづらいと思うので、両家屋敷の位置関係等を解説すると、松丸町の主要部に位置しているのは正木正光家である。山際の豪商家が並ぶ一画に屋敷は所在しており、町場の中では高台の一等地となる場所である。一方、正木家は町場の外れで、広見川に近い少し低い位置に所在しているのである。この場所であれば町場の東側を流れる広見川が仮に氾濫するようなことがあれば、浸水する確立はかなり高いのではなかろうかと考えてしまうような土地である。また屋敷の風情についても正木正光家の方が主屋の規模も大きく、立ちが低く中塗り仕上げに止まる黄土色の壁面から抑制的な近世建物の風情を醸しているように感じる。また主屋脇の板塀越しに垣間見る座敷庭の存在にも豪商家として裏打ちを感じさせてくれるものなのである。 余りに端正な建前なので歴史の浅い酒造家と見ていたが、実は創業も主屋の建築年も江戸期にまで遡る老舗であったとは意外であった。周囲には当家の他に、分家の正木正光酒造場や岡清商店など広見川に沿った豊富な水資源を利用して酒造場が林立する町場となっている。 主屋は塗籠造で、切妻造桟瓦葺平入の建物で、外壁は白漆喰塗とし、妻側の腰壁を押縁下見板張りとし、正面は玄関を除き、連子格子が並ぶ。 松丸街道は、宇和島を発して梼原へと続く宇和島街道の一部を指すものと思われる。宇和島・近永・日吉・梼原と続く。梼原以降は須崎を経由して中村街道に合流して高知城下へと至る。また梼原の手前の近永で分かれ、窪川に出て中村街道に合流する経路もあった。松丸は、近永と窪川の間にある在町である。 【参考文献】井上書院刊・犬伏武彦著「民家ロマンチック街道 伊予路」/朝日新聞社刊・司馬遼太郎著「街道をゆく 南伊予・西土佐の道」/ |