井手家住宅

 
松山藩の在町である大井新町に所在する。天正13年(1585)に井手清右衛門が居を構えたことに始まる。
大坂冬の陣、夏の陣に際して軍用金の拠出に応じたことから特別の家構えを許され、屋根上に天水瓶を上げたとのことである。
新町村の庄屋と共に野間郡37ヶ村の大庄屋を兼務。江戸期の記録では井手清左衛門3人扶持とあり、士分格を有していたことが判る。
住宅は明治4年に建築され、昭和9年に大井村に譲渡、昭和18年から50年まで村役場として用いられた。200年前の建築との資料もある。
邸内の大楠は樹齢350年で幹回り5mにも及び、町の天然記念物に指定されている。

無指定・外観公開
愛媛県越智郡大西町新町
建築年代/明治4年
用途区分/大庄屋
公開状況/外観公開
大西町は愛媛県北部の小さな町で、瓦の生産地として有名な菊間町と造船とタオル産業で全国区の知名度を誇る今治市とのちょうど中間に位置している。しかし当町には格別な特産品もなく、残念ながら知名度も極めて低い町である。そんな大西町ではあるが、私は付近を通る際には必ずと云ってよいほどに立ち寄ることとしている。それは当家の魅力につい引き寄せられるからに他ならない。当家は町を南北に貫く街道沿いのほぼ集落の中心に、長い板塀を巡らして屋敷を構えている。邸内には大きな楠の大木が周囲を覆い、長い歴史を紡いできた家であることを無言で知らしめてくれる。江戸時代には大庄屋職を務めたという由緒に相応しく、主屋は重厚な本瓦葺に唐破風の玄関を構える。また特筆すべきは、屋根の上に載る天水瓶である。これは、現代住宅では全く想像もつかないことであるが、一般に防火用として水を張った甕を屋根の棟に載せたものである。実際には大して役に立つ事もないと思われるが、格式を象徴するものとして特別の家にだけ許されたということである。天水瓶について残存例を正確に確認をしたことはないが、私の知る限り、殆ど残されていないのではないかと思う。数多くの建築を見てきたが高野山の金剛峰寺で見かけた程度で、民家建築としては唯一の例ではなかろうか。