林家住宅
Hayashi



多度津町指定文化財
香川県仲多度郡多度津町奥白方荒697


当家は多度津藩の国家老職を務めた林求馬により慶応3年に別邸として建築されたものである。多度津城下から南西に5kmの郊外、三方を低山に囲まれた起伏の多い台地に所在している。格別に風光明媚と思われる場所でもなく、正直に云えば、辺鄙とも思われるこの場所に何故わざわざ屋敷を設けたのか、恐らく当家を訪れた誰しもがこうした素朴な疑問を覚えるはずである。
その理由は建築時の時代背景に答えがある。当時、幕末攘夷の怒声が飛び交う中、多度津藩主京極家6代・高典公が瀬戸内海を通行する外国船からの砲撃を避けるため内陸部の当地に避難所として別邸の建設を計画したのが、そもそもの始まりであった。多度津藩の陣屋といえば、目前に金毘羅船が行き交うような海岸近くにあったためである。そこで恐らく新たな町作りを行う陣頭指揮を任されたのであろう、国家老職にあった林家がこれに先立つ形で当地に屋敷を整備したのが今に残る当住宅であった。確かに海からの攻撃に対する避難地としては最適の立地環境であるが、すぐに明治維新を迎えたため、陣屋移転の話は沙汰やみとなり、先行した当住宅も無用の長物と化してしまうこととなった。
さて当家の存在は、周辺の農村集落の中にあって完全に浮いている。屋敷正面に海鼠壁を施した白壁の練塀を廻らせ、中央部には薬医門を構える。練塀越しには木連格子に千鳥破風の屋根を頂く大玄関の御殿建築が垣間見える。品格漂う屋敷建築は、その空間だけが完全に周囲とは隔絶している。屋敷正面の小高い場所から屋敷全体を臨むと、そこはまるで小さな大名屋敷のような印象である。規模こそ大きくはないが、武家階級の面目を保つに相応しい建築である。
ちなみに林家の録高は350石。他の大藩では中級武士並みの石高ではあるが、やはりそこは1万石の小藩といえども、国家老の屋敷である。通常の武家屋敷とは比較にならない程に格式高い雰囲気を感じさせてくれる。

ところで屋敷内の東側に茅屋根(今はトタンで被う)の質素な建物が併設されているが、これは弘濱書院と称する7代林直記が弘化2年に開いた私塾で、昭和61年10月に現在地に移築したものである。当家という存在は政治面だけでなく、教育面においても多度津という地の基礎を築いた草分けの家なのである。 【毎月第一日曜日9時〜5時公開】) (H22.12.2記)