大磯家住宅
Ooiso



 
登録有形文化財 (平成11年8月23日登録)
徳島県板野郡松茂町広島字北川向四ノ越29-1
旧所在地・徳島県名西郡石井町東覚円
建築年代/天保14年(1843)
用途区分/藍商・庄屋・酒造業・鉱山業・地主
登録範囲/主屋
公開状況/非公開


大磯家は寛政4年(1792)に他国売藍商に進出し、藍商の他に庄屋、酒造業、鉱山経営などを営み、文政から天保年間に隆盛期を迎え、6代目・次郎兵衛が江戸時代末期の天保14年(1843)に主屋を含む11棟を建築した。明治20年(1887)頃から化学藍が用いられるようになると、藍玉の販売や酒造業など不採算事業を直ちに中止するなど商才に優れ、大正時代中頃には地主経営等へ転換した。
主屋は木造2階建、切妻造本瓦葺で釜屋の上部屋根には煙出しが附属する。桁行7間半(14.91m)、梁間5間(9.8m)の正面に半間の下屋と背面釜屋が1間半突き出す。大戸口を左(西側)に設ける左勝手の四間取形式で、延床面積は238㎡の標準的な規模ではあるが、当時の建物は茅葺とすることが多い中、当初より本瓦で葺かれた。外壁は漆喰塗とし、防火を意識した造りとなっている。
平成9年11月に徳島を代表する菓子メーカーであったハレルヤが整備した「阿波の里」内に移築され、結婚式場付属の美容室として用いられてきたが、ハレルヤの廃業により現在は放置されている。



 

一覧のページに戻る