渡辺家住宅
Watanabe



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無指定・公開 (萩市景観重要建造物 平成20年10月3日指定)
山口県萩市江向5
建築年代/明治中期
用途区分/官吏
残存建物/主屋・土蔵・長屋門・茶室

JR萩駅から萩旧城下町へと通じる県道64号線を北上、市街を横断する橋本川に架かる橋を渡り、川沿いの桜並木に見惚れながら西進すると右手に明治期の近代和風建築に典型的な風情の屋敷が現れる。幕末の萩藩士で松下村塾に学び、米英に留学して造船技術を修得、帰国後は工部省に出仕、官営長崎造船所の初代局長を歴任した渡辺蒿蔵が帰郷後の棲家として建てた邸宅建築である。全体的に座敷を主体とする空間構成で、格子欄間を多用した近代建築らしく折り目正しい硬質な印象の造作となっている。

渡辺蒿蔵(天野清三郎)について
天保14年(1843)萩藩士渡辺家に生まれ、一時天野家の養子となりますが、後に渡辺家に復籍しました。
15歳の安政4年(1857)松下村塾に入り、吉田松陰に学んだ後、久坂玄瑞らの尊攘運動に加わり、奇兵隊に参加。禁門の変で萩藩が敗退後、西洋兵学の修得に励みました。
慶応3年(1867)長崎に派遣され、まもなく藩命により米英に留学し造船技術を修得しました。帰国後は、工部省に入り、官営長崎造船局(現・三菱重工長崎造船所)の初代局長に就任し、日本の造船業の近代化に貢献しました。その後、49歳で逓信省を退職。帰郷後は松下村塾の保存事業に地元代表として尽くしました。


工部省に出仕し、長崎造船所の初代所長になった渡辺蒿蔵が、帰郷後に建てた屋敷。
萩城下の中級武士・熊野家の屋敷跡に建てた。
幕末の屋敷割図には熊野玄機の名がある。
江向八町筋と橋本川土手の間に建てられた。長屋門は江戸期の建築、主屋と土蔵は明治中期、茶室はその後の増築とされている。

萩市景観重要建造物指定 渡邊嵩蔵旧宅 


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