四熊家住宅

登録有形文化財 (平成12年10月18日登録)
山口県新南陽市土井1-1-1





 
明治31年に広島〜三田尻間を結んだ山陽鉄道の駅の1つに新南陽駅がある。大正15年に設置され、昭和55年に改名されるまでは周防富田駅と称されたところで、その由来は駅前に広がる一帯が古くは東大寺領の富田保という荘園であったことに由来する。現在では徳山・防府の化学工場群と共にコンビナートを形成しており、駅を降りると目の前に広がる景色は、煙突が林立し、トラックの往来が激しい工場地帯である。駅から北にまっすぐに道が続いているが、これは後から整備された道路で、この道の東側に並行して旧道がある。白壁土蔵造の大きな構えの商家が数軒残り、山口県内の町場の中でも比較的風情を残す町並みである。この道は鹿野街道と称され、県中央部の町・鹿野に続いている。2kmばかり北上すると、さほどは大きくない神代川と富田川の合流点に達する。この辺りはから奥に向かえば山間を縫うようにして鹿野の町に達する。

江戸後期建築
主屋・診療棟のみ登録
JR山陽本線の新南陽駅から真北へ2km程のところに所在する医家住宅である。現在、屋敷の周囲は宅地化しているため判りづらくなっているが、地図で確認すると屋敷の北側には小山があり、西に神代川、東には富田川が流れ、家相としては最高の立地条件と云えるような場所にある。屋敷の南側には長屋門を構え、左右に長大な白壁の土塀が続く。屋敷中央部に茅葺の主屋があり、玄関部から前方に突き出す形で明治後期増築の診療棟がある。主屋西側の庭園には徳山藩主の隠居所建設の際の仮屋が建てられたこともあると云い、単なる医家住宅でないことだけは確かである。徳山藩内6か所の医術者養成機関の私家塾の1つで、見学堂と講習館と称した。
主屋の規模は桁行8間半、梁間5間半。江戸時代初期から医業を行っていたという。