木戸孝允旧宅



 
国指定史跡 (昭和7年3月25日指定)
山口県萩市呉服町2丁目37番地
建築年代/江戸時代
用途区分/藩医
公開状況/公開
木戸孝允は西郷隆盛、大久保利通らと並び維新三傑に数えられる明治維新成就の立役者である。若い時分は桂小五郎と称していた。当住宅は彼の生家で、萩藩医を務めた和田家の住宅である。8歳で150石の桂家の末期養子に入ったが、事情により20歳で江戸に留学するまで当住宅で過ごした。薩長同盟、五箇条の御誓文、版籍奉還、廃藩置県など彼の事績については枚挙に暇がないが、「藩医の家柄に生まれた故に武士よりも武士らしくあれ」と父から受けた教えは、彼のその後の活躍の礎となったに違いない。


江戸に出るまでの20年間をここで過ごす。
桂小五郎は藩医の家に天保4年(1833)に生まれ、8歳で近所の桂九郎兵衛家(150石)の末期養子となる。
しかし相次いで養母が無くなったため、実際には実家である和田家で育った。
維新の功績としては薩長同盟を結び、倒幕の楔を打ち込んだこと、五箇条の御誓文、版籍奉還、廃藩置県を断行したことなど枚挙に暇が無いほどである。正二位公爵を叙爵されるなど、維新最大の功労者として遇された。
明治10年の西南戦争時に京都で病没した。45歳の惜しまれる死であった。


 

一覧のページに戻る