礒部家住宅
Isobe


 
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礒部家の本家住宅である。当家は山口県の田布施の出身。
主屋の背後に長屋が続き、更にその奥に新宅を構える。新宅の奥は海で波止があり、ここに船を着いた。船の大きさは300石程度で決して大きくはなかった。(主に瀬戸内航路で活躍。日本海航路には船が小さすぎた)
向かって主屋の左隣は武田薬品の保養所跡となっているが、そもそもは当家の長屋が建っていた。
向かいの郷土資料館は磯部家で分家となる。ここも邸内には樹齢300年の銀杏があることから相応に古い屋敷跡と推測される。

礒部本家旧宅
礒部本家は、江戸時代の始めに田布施から来た商人で、屋号を「磯屋」といい、廻船業をはじめ、金融業、材木などを扱う問屋業を営むだけでなく、広大な田畑や塩田を持つ大地主でもあり、室積の繁栄を支えた豪商の一人でした。また、代々、浦の年寄役を務め、苗字を許されていました。
主屋は明治20年(1887)に改築されていますが、以前は海岸側に3棟の蔵と離れ座敷があり、室積荘の一部を含む広大な屋敷に建つ、明治時代の室積の代表的な町家てす。骨組の太い家の造りや、優れた調度品、襖絵、書画などからも
当時の裕福な生活を窺い知ることができます。尚、苗字の「磯部」が「礒部」に変わった時期や理由は残念ながら不明です。【現地案内看板より】

室積塩田
江戸時代半ばに室積の繁栄のために長州藩によって作られ、後に礒部本家の所有となり、5町3反歩の面積があったと云われる。戦後は礒部本家より光市に寄贈され、室積小学校や汐浜住宅団地が整備された。




 

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