美濃地家住宅
Minoji



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渓谷美で知られる島根県西部にある匹見峡は当然のことながら山深い場所である。今では町に散在していた民家も草木に埋もれつつあり、恐らく数年もすると本当に山と川以外には何も無いところになってしまうのではないかと思われるような奥地である。このような場所にわざわざ訪ねることなど無いと思っていたが、しかし当住宅の存在が私に片道4時間の距離も厭うことなく、車を走らせることとなった。それほどの家である。
当家の所在する道川地区には開村伝説として平家の落人伝説だとか、稲わら伝説が残っている。こうした説話が残ること自体が、ある意味山深いことを表していると捉えることも可能であろう。またこうした場所に巨大な民家が残されていることも多く、貴種流譚説的な話の根源になっているのではないかと個人的には考えている。

当家は藤川家の蹈鞴支配人として当地に訪れたことに始まる。中国山地の豪農家は大概において製鉄業と関連しているが、当家もご多分に漏れずの話である。ただ支配人では雇われ人に過ぎないが、主人筋の藤川家の没落により、その地位を取って代わった形になったのであろう。その後当家は代々、上下藤川村の庄屋を務めたばかりでなく、3代に亘って割元庄屋を拝命するなどして近隣一帯の農民階級における最高位にまで上り詰めるのである。ちなみに割元庄屋とは他藩で云うところの大庄屋のことで、当地を支配した浜田藩独特の呼称である。屋敷は至って豪壮である。長屋門や大蔵などで屋敷前面の体裁を整えるが、主屋の大屋根があまりにも大きく、これらの建物越しに遠方からでも際立つ主屋の姿を捉える事が出来る。

登録有形文化財 (平成30年3月27日登録)
島根県益田市匹見町道川イ50
建築年代/安政2年(1855)
用途区分/農家(庄屋・割元庄屋)
残存建物/主屋・米蔵 (長屋門は復元建物)
公開状況/公開(但し冬季は休館)
島根県西部の山間部に所在する庄屋屋敷である。中国道の戸河内ICから山陰の益田方面に抜ける国道191号線は中国山地を横断する快走路である。秋の紅葉の季節などは特に美しく良いところである。当住宅はその途中の山間部に所在する旧割元庄屋屋敷である。温暖なイメージの中国地方ながら周囲にはスキー場が点在するほどの豪雪地帯で、冬籠りを前提とした主屋は北国の民家さながらの大規模なものである。昭和38年の大豪雪で屋敷内の酒蔵や土蔵、木小屋等の附属建物は順次解体され、現在では主屋と米蔵を残すのみとなっているが、それでも見応えは十分なものである。