藤田家住宅
Fujita



 
登録有形文化財 (平成21年1月8日登録)
島根県江津市江津町328
建築年代/嘉永6年(1853)
用途区分/商家
登録範囲/主屋・新蔵及び料理場・内蔵・東蔵・表門・塀・南蔵・北蔵
公開状況/非公開
そもそも江津は、その名の通り江の川河口付近に形成された湊町である。江の川は中国太郎と別称される大河で、水量も豊富、流域面積も広大な中国地方を代表する存在であるが、その水運を利用した高瀬舟による中国山地各地からの物資の集散基地として、あるいは日本海を航行する北前船の寄港地として、江津の町は古くから栄えた。
江津の旧市街は現在のJR山陰本線の江津駅付近ではなく、支線であるJR三江線の江津本町駅東側の谷間にある。山陰道と江の川が交わる当地は交通の要衝として大いに栄えたという。当住宅は旧市街の中心部に所在する商家建築で町を代表する存在といっても過言ではない。江戸期には「五島屋」の屋号で廻船業を営むとともに銑鉄も取り扱う問屋でもあったとのことである。本町通りから少し後退して建つ主屋は格式の高さを顕しており、通りを挟んで建つ3棟の蔵群も当家の所有である。


世界遺産に登録された石見銀山の町・大田市から日本海側最大の水産加工基地である浜田に向かって国道9号線をひた走ること1時間ほどのちょうど中間点に差し掛かると、前方に巨大な煙突が林立する大工場が突如として出現する。日本製紙鰍フ江津工場である。なぜこの場所にかくも巨大な製紙工場が存在するのか、詳らかは知るところではないが、企業としての立地決定にあたっては、恐らく石州和紙の伝統と江の川による豊富な利水の関係を重視した結果が少なからず影響したのではないかと踏んでいるが、如何なものであろうか。

本町通り南側
主屋=嘉永6年(1853)・表門=江戸末期・内蔵=明治前期・新蔵及び料理場=
本町通り北側
北蔵=明治前期・南蔵=明治前期・東蔵=明治前期 


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