瓜生原家住宅



兵庫県登録有形文化財 (平成26年3月6日登録)
兵庫県佐用郡佐用町平福字南新町東側439
建築年代/文化7年(1810)
用途区分/鋳物業
登録範囲/主屋・土蔵1・土蔵2・川座敷・納屋
公開状況/蕎麦屋として活用中

中国自動車道の佐用ICを降り、国道373号線を鳥取県側に少しばかり北上した所で平福の町並に入る。
平福の町は慶長・元和年間に播磨国52万石を領した池田輝政の甥・池田出羽守由之2万3000石の城下町として形成されたことに始まるが、徳川幕藩体制期以降は、松平氏5000石旗本領の陣屋町となり、むしろ因幡街道の宿場町として栄えるようになる。
数十年前までは、街道沿いに面した町家群が連続して結構な風情を醸していたが、近年は改築も進んで櫛の歯が抜けたような有様になりつつあり、現在では街道に並行して流れる佐用川沿いに屋敷裏手の土蔵群が林立する様に往古の姿を見て取ることができるのみになっている。
その中にあって、当住宅は屋敷構えが表・裏がほぼ完存する素晴らしい町家建築で、現在では宿場町・平福を代表する存在と云っても過言ではないだろう。瓜生原家は享保年間に津山(岡山県)より移住し、「吹屋」の屋号にて昭和初期まで鋳物業を営んだとされる。主屋の建築年代については、当家に残された「文化七年午二月朔日 家普請諸事覚」により特定されている。主屋は木造2階建、桟瓦葺切妻屋根に越屋根を載せ、間取りは整形四間取となる。敷地は123坪程度ではあるが、街道に面して主屋と納屋を、佐用川に面する裏手に土蔵2棟に川座敷を配置し、実際の規模以上に大店感のある風情である。
平成18年4月1日に兵庫県景観形成重要建造物に認定され、平成26年には兵庫県登録文化財に登録されている。
平成24年に瓜生原恒夫氏から佐用町に建物は寄贈されている。




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