青渓書院
Seikei-shoin



 
幕末の漢学者・池田草庵が営んだ自宅兼塾舎である。
草庵は文化10年(1813)に宿南の農家の三男に生まれ、幼名を久蔵、長じて禎蔵と名乗った。
幼くして両親と死に別れ、13歳で広谷村の満福寺に預けられたが、18歳で儒学を学ぶため京都の相馬塾に入門。31歳で帰郷し、八鹿に立誠舎を開き、35歳で宿南に当書院を建てた。
幕末から明治初期にかけて全国30ヶ所から門人が集い、その数は累計673人に及んだ。
「慎独」を提唱、自分が一人でいるときでも心を正しく持ち、行いを慎むことを重んじた。
著作に「山窓功課」、「古本大学略解」、「肆業餘稿」などがある。
書院は2階建で、1階裏手に夫人の間、居間を配置、表側に講堂や客間を配置した。2階は門人たちの自習室兼寝室とした。

 

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