右近家住宅
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登録有形文化財
福井県南条郡南越前町河野2-15

かつて開鑿も困難を極めたという若狭湾を臨む海崖沿いの有料道路もいつのまにか無料開放され、当家が所在する河野浦の集落は、かつての陸の孤島のイメージがまったく払拭され、集落を貫く幹線道路には結構に車の往来もある様子。
河野浦の名称は伊予水軍として名を馳せた河野一族の末裔が定着したことに由来するとのことで、この浦の住人達は水軍の末裔らしく、生計を漁によることなく、船乗稼業で立てていたとのことである。そうした背景が、当家の北前船主としての活躍に大きな影響を及ぼしたであろうことは容易に想像がつく。最盛期には30数隻の廻船を所有し、幕末には日本海五大船主の1人に数えられたという当家は、近代に至り北前船の衰退の兆しが表れると、積極的に蒸気船を導入し、海上保険業にも進出するなど、時代の転換期にあたっても的確に対応して、今日まで隆盛を維持してきた。大したものである。
主屋は明治34年に建てられたもので決して古くはない。背後に山が迫る狭小な土地柄のため、建物配置に少し無理があり、それぞれの建物が軒を接するように建てられている。しかしさすがに日本を代表する大船主の邸宅だけあって、大戸口からヒロマに至る際に眼前に広がる豪壮な梁や桁の架構には圧倒される。また背後の山腹にはスパニッシュ様式の西洋館が建てられており、大林組による昭和10年の建築で、現在でも十分にモダンで魅力的なものである。現在のところ、この西洋館のみが登録文化財に認定されている。
ところで河野浦の集落の魅力についてもここで是非触れておきたい。右近家の屋敷は山側に主屋、海側に長屋門や土蔵が建ち並んでいるが、両者を隔てる通路は、一見屋敷内の庭と思いがちであるが、実は集落を南北に貫く生活道路のようである。この道をブラブラと北上していくと、右近家にそっくりな中村家の邸宅が現れる。集落全体が北前船主の邸宅群で構成されており、独特の風情を醸している。他にはない、この雰囲気をぜひ味わってほしいと思う。 (2010.9.23記)




 

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