安達中谷家住宅
Adachi



池田町指定文化財 (昭和62年9月11日指定)
福井県今立郡池田町下小畑9-15

当家については手元に殆ど資料がないので、少しばかり困っている。というのも所有者のお名前が「安達さん」なので本来、安達家住宅と表記されるところ、現地の案内看板には安達中谷家とある。しかも、いろいろ調べていると中屋と表記しているケースも混在しており、一体どちらが正しい表記なのか困惑している。中屋ならば屋号だろうと想像は付くが、中谷では何を表すのだろうか。
それはともかく、当家は藩政期には下池田地域の大庄屋を務めた名家で、住宅は間口9間半、奥行き7間半の県下最大級の床面積を誇る建物。建築材料も一尺三寸(約40cm)の中柱を持つなど豪壮を極めたもので、江戸中期の宝暦3年(1753)の建築であるため、同じ町内で国重文に指定される堀口家と比較して若干時代は下るものの、大庄屋屋敷として別の価値を持つ。何よりも周囲の民家の建前が茅葺が一般的であるところ、当家はクレ葺き(板葺きのこと・現在は鉄板葺きとなっている。)屋根となっており、まるで林業家のような特異な様相である。根拠のないことではあるが、当家の所在する下池田地域は藩政期には幕府領で高山代官所の支配地であったことから、高山大工による造作が色濃く影響しているとは考えられないだろうか。棟札でも出てくればすぐに判ると思うが、地域の建築と比較してあまりに異色な住宅である。
当家の所在する小畑は足羽川の支流となる部子川北岸の僅かな傾斜地を造成して出来た小集落である。現在、主屋の南には畑地が広がり、部子川沿いに土盛りして通された道路から下りのアプローチが貫く。主屋背後の板塀で囲まれた屋敷地には大蔵が建つなど立地条件を考慮すると、かなり贅沢な屋敷構えで、大庄屋屋敷としての片鱗を窺わせる。現在でこそ、屋敷地前の道路が堤防的な役割を担っているものの、建築後250年以上もの間、水量も豊富で急峻な流れの部子川による水害も受けずに、よくぞ残ったものである。けれども私が訪れた2010年5月には、主屋前の雪囲いも取らずに放置されたままであった。恐らく無住となってしまったのかも知れない。今後のことが心配である。 (2010.9.20記)


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