新美南吉生家
Niimi Nankichi family house



半田市指定有形文化財 (昭和62年10月30日指定)
愛知県半田市平和町7-60-2
建築年代/江戸後期
用途区分/童話作家
指定範囲/主屋
公開状況/以前は公開していたが、近年は閉鎖している模様


この建物は、「ごんぎつね」や「手袋を買いに」で知られる半田市出身の童話作家、新見南吉の生母の実家である。南吉は8歳の時に新美家の養子となり、大正10年7月から同年12月までここで過ごした。
江戸時代後期の建築と推定される建物の主屋は、4本の太い柱で家を支え、田の字型に部屋を仕切り構成されていることから「四つ建て」と呼ばれている。四つ建ては、尾張から西三河にかけて当時の農家によく見られた構造形式で、屋根には今は珍しい茅葺屋根を残している。【現地案内看板より】


新美家は、新見南吉(児童文学作家・1913-43)の生母りゑの実家で、南吉が子供の頃に養子として過ごした場所です。南吉は、岩滑で畳屋を営む渡辺家の次男(長男は早逝)として生まれますが、4歳の時に母りゑが亡くなり、継母に育てられます。大正10年(1921)2月、新美家で叔父・鎌治郎ん゛亡くなったため、同年7月、当時8歳の南吉が養子として迎えられました。南吉は、ここで祖母の志もと2人きりの生活を送りますが、寂しさに耐えられず、12月には渡辺家へ戻りました。孤独の哀しみを描く南吉文学の原点ともなった場所で、「小さい太郎の悲しみ」、「川」<A>の舞台となっています。
志もの死後、長く無人になり荒れていましたが、弁護士で南吉研究家でもあった神谷幸之氏が画家の北川民次氏と共に修復保存し、昭和48年(1973)から公開されています。現在は公益財団法人かみや美術館の分館「南吉の家」として管理され、裏の土蔵は南吉に関する資料館になっています。また主屋は昭和62年(1987)に半田市の有形文化財に指定されています。【現地案内看板より】

南吉の祖母志も
南吉を養子にした新美志もは、南吉の生母りゑの継母で、南吉にとっては血の繋がらない祖母にあたります。子育てに慣れない志もでしたが、近所の子供たちにぼろ(小さな霰のような餅菓子)を配って、南吉と遊んでくれるよう頼むなど、南吉がここで生活に馴染むよう心を配りました。結局、南吉は新美姓のまま実家の渡辺家に戻りますが、後に東京外国語学校へ進学できたのは、志もからの援助があったからではないかと考えられています。【現地案内看板より】



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