湊屋
Minatoya



 
登録有形文化財
愛知県一宮市起字堤町33-1
建築年代/明治
用途区分/商家
登録範囲/店舗兼主屋・土蔵
公開状況/店舗(食事処)として営業中


湊屋は代々文右衛門を襲名し、起渡船場を管理する船庄屋・林家の下で、船方肝煎役を務め、船の手配等、渡船場の実務を担っていた。また、文右衛門は越前丸岡の商人から綛糸販売を委託され、丸岡の綛糸をこの地域の織屋に売り、生産された縞木綿を買い取り、伊勢の商人等に販売する仲買商人であった。
店舗兼住宅は2階建て、1階に出格子を付け、2階正面を低くし、軒を深く構えている。起宿に残された屋敷の間取図によれば、間口14間(約25m)、奥行28間(約50m)と記されており、当時の起宿の町の中ではかなり広い規模の屋敷であったことが判る。屋敷の建築年は明らかではないが、江戸時代末期の屋敷構成を踏襲して、明治時代前期に建てられたとされている。
北側に建つ土蔵は西倉、中倉、東倉から成り、道筋から2階建の西倉、東倉が並び、両者の連結部に屋根を架け、平屋建の中倉としている。西倉は幕末期の土蔵を昭和20~30年代に移築したものであり、その時に中倉を設けたとされる。東倉は使用された部材等から昭和前期の建造と推定されている。
明治24年(1891)に岐阜県旧根尾村(現・本巣市)付近を震源とする濃尾地震の発生により、この地域の建物の多くは倒壊したものの、店舗兼主屋は濃尾地震に耐えた数少ない建物である。宿場町の名残を今に伝える貴重な建築物である。【現地案内看板より一部改編】



 

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