雲越家住宅
kumokoshi



 
国指定重要有形民俗文化財 (平成9年12月15日指定)
群馬県利根郡みなかみ町藤原3688
建築年代/明治20年(1887)
用途区分/山村農家
指定範囲/主屋 (上州藤原の生活用具及び民家)
公開状況/公開

群馬県の最奥部に所在する山村農家である。屋敷は春の雪解けとともに顔を出す水芭蕉の花で有名な尾瀬沼とは至仏山を挟んで対象の位置にある藤原集落の中心部に所在しており、周囲は疎らに冬スキーで訪れる観光客相手の民宿が建ち並ぶ様子からして、余程に雪深い土地柄であることが容易に窺い知れる。当住宅については「上州藤原の生活用具」と共に国の重要有形民俗文化財に指定されるが、その対象が一人の農民が実際の生活に用した道具類であるとともに、その彼が生を受け天寿を全うするまで起居した住まいであるところに今日的な意義を感じる。時代の変化と共に滅びゆく文化を後世に保存しなければならないという使命感にも似た心意気を決して否定するわけではないが、博物的に寡集したような道具類では無く、普段通りに生活を営む中で用いられ、たまたま残されたモノたちであるところに何やら云い知れぬ感動を覚える。昭和55年以来、家の主こそ居なくはなってしまったものの、当住宅内には、つい先日までそこで生活を送っていたかのように日常の道具類が「そのまま」の状態で全てが残されている。
ところで雲越家については菩提寺である応永寺の過去帳や位牌から享保12年(1727)に没した吉弥を初代に、今に残る様々な道具類を実際に使い、そして残した最後の当主・仙太郎氏が9代目に当たることが判っている。そもそも四周を1500~2000m級の山々に囲まれながらも藤原集落では、狩猟や山稼ぎを専業にすることはなく、生業の中心はあくまで農業であったらしい。当家も代々、稲作や畑作の他に、副業として養蚕、ワラビ粉やクズ粉の生産、炭焼き、木挽きなどを行い、更に自家用の生活物資を得るために麻、苧などの採取、加工、茣蓙や莚の製作、蓑や下駄の製作など、生活に必要な物資の調達を自給自足に近い形で行っていたようである。そのために、通常の農家では見られない程に衣食住に関連する生活用具だけではなく、自然採集・加工用具や農耕用具、養蚕用具、山稼ぎ用具など様々な道具類が残されている。
さて、屋敷内の主要な建物は南西向きの主屋とその前に建つ物置兼便所である。主屋建物は桁行10間、梁間5間の建前で、地域に特徴的な両妻兜造であることを含めて、当地域の中規模農家に典型的な遺構とされている。建築年代は当家に数冊の普請帳が残されており、明治19年の秋に工事を始め、翌20年春頃には竣工したことが判っている。しかし比較的新しい時代の建物でありながら、「チャノマ」と称される居間奥には帳台構の「ヘヤ」と称する寝室が設えられており、床に稲藁や干し草を敷き詰めた17世紀頃に遡るような古式な造作がなされている。また「チャノマ」の上手には二間続きの座敷が設けられているが、その表側には奥行き1間幅の土間状の玄関を構えて座敷への直接の出入口としており、雪深い地域ならでは特徴も併せ持ったものとなっている。
最後の当主・仙太郎氏は戦後の急速な生活様式の変化に対して、頑なまでに時代に抗うように生きた人物だったようで、建物は全く改造等は受けておらず、ほぼ建築当初の姿を留めている。「時には、こんな頑固者がいて良かった」と素直に思える民家旅も幸せである。

【参考文献】月間文化財(平成10年1月号)、上州の重要民家を訪ねる(北毛編)
 

一覧のページに戻る