格知学舎



 
山形県指定史跡 (昭和27年4月1日指定)
山形県

明治2年開学の私塾跡で、高尾楓に囲まれた閑静な格知学舎は、別名「翠濤書院」「月光精舎」と称し、また五老山山麓にあるため「五老(山)学校」の俗称を持つ。創立者は山形市長谷堂出身の浄土真宗の学僧・本沢竹雲で、明治2年に貫津村名主・結城六右衛門らの招きに応じ、塾を開いた。竹雲は、西洋文明を徹底的に排し、神・儒・仏中心の教育を行った。村山一円の地主層の子弟が多数入門し、師と起居を共にして学び、3代の師の下に戦前まで続いた。学舎とともに、ここで使用された教科書等の関係資料5312点も県文化財に指定され、学舎の思想的背景を物語る貴重な文献として保存されている。



 

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