粟野家住宅(大黒屋)
Awano



 
上山市指定文化財 (平成7年5月26日指定)
山形県上山市楢下
建築年代/文化5年(1804)
用途区分/
指定範囲/主屋
公開状況/公開
元来は楢下宿、下町の南北通り街道の東側にあり、本陣・問屋の斎藤家北隣、準本陣秋田屋の更に北隣に当たり、同じく脇本陣滝沢屋の南隣に立地していた。
旧楢下宿の中心部・下町を構成する重要な遺構であり、保存状態も良好で、敷地ごとの保存が強く望まれたのであるが、粟野家住宅の新築計画も進行中であり、土蔵を除いた主屋棟の寄贈を受けたのを機に、平成7年5月26日、上山市の有形文化財に指定するに至った。
敷地は図らずも同じ下町の地である旧粟野家の真向いの地が空いていたのを譲り受け、移築復元することとなったため、従来は道路に対して東側に立地した家屋を西側へ180°回転する形とした。即ち南北の位置関係が逆転し、上座敷が北側、通り土間が南側であったのが、上座敷が南側に、土間が北側に換わった。
大黒屋粟野家の沿革については不詳であるが、宝暦7年(1757)5月の楢下宿大洪水直後の宝暦8年2月に描かれた楢下の屋敷割図によれば、弥平次(大黒屋)の名が市兵衛(秋田屋)と助右衛門(滝沢屋)との間にある。その描き方からみて、新規にこの時に割り出された屋敷ではなく、大洪水以前から既に下町の構成屋敷てあったと見られる。
建築年代についても不詳であったが、解体調査の過程で道路に面した座敷棟と、これに直交した主屋棟(住居棟)とは様式・架構を異にし、その年代差は50~60年程と想定され、しかもこの2棟は同時に一体のものとして建築されていることが判った。
文化5年(1804)4月、粟野家の増改築に際し、屋敷が狭く、北隣の丹野家(滝沢屋)から1~2尺程土地を借りたい旨の文書が遺るが、このことは既成の座敷棟をそのまま敷地内に配しようとしたためと思われる。このことから住居棟部は19世紀初頭の建築、座敷棟部は18世紀中期を降らない建築であり、両者併せて文化5年の家作であろうと云えよう。主屋部は幕末期に近い頃の建築、座敷部は隣村小笹から購入したものとの伝承にも符合する。
修復工事 着工 平成8年7月8日 竣工 平成9年3月20日
座敷棟 桁行5.33間、梁間3.16間
主屋棟 桁行6.33間、梁間3.75間
【現地修復工事事業概要説明銘板より】



 
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