高橋家住宅
Takahashi



 
国指定重要文化財 (昭和48年2月23日指定)
青森県黒石市中町38
建築年代/宝暦13年頃(1763)
用途区分/商家(米穀商)
指定範囲/主屋・板塀・米蔵/味噌倉・文庫蔵
公開状況/公開

黒石米や黒石林檎の産地として知られる旧黒石町は、明暦2年(1656)に津軽信英公が弘前藩からの分知を受け黒石津軽家を創立して以来、黒石藩の陣屋町、弘前と青森を結ぶ浜街道の宿場町として栄えた古い土地柄で、中でも重要伝統的建造物群保存地区に選定される黒石市中町の商家群は、僅かな範囲ながら雪国特有のコミセが続く国内で最も美しく印象的な町並ではないかと思う。コミセは主屋や長塀の軒を前方に深く張り出す木造のアーケードのようなもので越後地方では雁木と称される深雪地域特有の工夫として知られるが、夏の盛りに初めて当地を訪れた私個人の感想としては冬の積雪対策だけでなく、夏の日差し除けとしても極めて有難い存在であった。
ところで当住宅は黒石町の中心部に所在する商家建築で、時代が下る他の町家と比較して派手さは無いが、燻銀のような鈍く光る渋さを感じる民家である。高橋家は、代々「理右衛門」を襲名し、米穀を扱ったことから屋号を「米屋」とする一方、味噌や醤油、塩などの製造販売も手掛け、幅広く商売をしていた黒石藩御用の商家である。
当家に伝わる古文書によれば、中町に住みついたのは享保2年(1717)のことで、宝暦5年(1755)に現在の屋敷地を買入れ、同13年(1763)には現在の主屋を建築、その後の明和、寛政年間に敷地を拡げて、現在では間口39m、奥行47mの中町で最大の間口を持つに至る豪家である。主屋建物は切妻造の妻入で、前面にコミセを設けている。屋根は防火のため昭和初期の改築により亜鉛引き鉄板葺となっているが、そもそもは長柾葺であったという。桁行6間、奥行11間の縦長の平面で、右手に通り土間、左手を2列に分けて片側5室続きの計10室を並べた、奥行きの深い間取りとなっている。それ故に通り土間側面に高窓を設けるなどして採光に工夫を凝らしてはいるものの、やはり室内は薄暗く、刻限を超越するような不思議な感覚を覚える。西国育ちの者にとっては、これが東国独特の風情というものだろうと勝手に得心している。私が初めて当住宅を訪れたのは今から25年程以前、それまで内部を非公開とされておられたが公開に向けて準備をされておられた時分で、御当主からいろいろとお話を伺った際に頂戴した一杯の林檎ジュースの味は今でも覚えている。



 

一覧のページに戻る