大久保家住宅
Ookubo



 
無指定・公開
青森県三戸郡五戸町倉石又重字上川原110-2
旧所在地・青森県三戸郡倉石村大字中市字大久保
建築年代/文政年間
用途区分/農家
残存範囲/主屋
公開状況/公開(隣接する温泉施設に申し出る)

八戸市と十和田湖を結ぶ国道454号線の中途にある五戸町は、嘗て馬産の地として知られ、当住宅が嘗て所在した地域は「又重野」と称する南部藩営の牧場があった土地柄である。しかし鎌倉期から昭和初期に至るまでの長きに亘って紡がれたはずの文化は、現代の著しい産業構造の変化により、いとも簡単に失われ、僅かな痕跡さえも残されてはいない。当住宅は嘗ての過酷な労働から解放された現代人が浸る温泉施設の脇に移築された江戸後期の農家建築で、「人馬が共に暮らしていた当時の生活を伝える貴重な遺産」と解説されるものの、周辺整備が過ぎてどうも実感に乏しい。



又重野は名馬の産地。南部九牧と称された南部藩の藩営牧場が所在していた地域である。
当家の解説板には、「人と馬とが同じ屋根の下でともに暮らしていた当時の生活、建築様式を現代に伝える」と記述されているが、土間脇に馬屋が備わる様子は、全国どこにでもある造作で、特に馬産の地として特別な建築様式が見られる訳ではない。
1820年頃の文政年間の建築と伝えられるが、外観、内部ともに明治以降の建築様式を感じる。


 

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