中村平八郎家住宅 Nakamura ![]() |
| 登録有形文化財 (平成13年8月28日登録) 北海道勇払郡むかわ町穂別458 建築年代/大正11年(1922) 用途区分/農家・商家・村長 登録範囲/主屋 公開状況/公開 穂別村開拓の先駆者住宅。 【現地案内看板より】 この建物は穂別村開拓の先駆者の一人、中村平八郎氏によって大正13年に建てられました。その後、2代目の中村耕平氏が受け継ぎ、昭和48年まで約50年間、住宅として使用されていたものです。開拓時代を象徴する洋風建物であり、構造材、造作材共に主材料に広葉樹(タモ、カツラ材)を多用しているのが特徴で、道内でも稀少な歴史的建物であると云えます。起り屋根の玄関庇を持つ鉄板葺、片入母屋造、平屋建の主屋を中核として、玄関左手に鉄板葺、切妻造、下見板張、2階建の洋館を配置していますが、北海道内陸部における大正期邸宅建築の様子を知るうえで貴重な資料となっています。 平成6年9月20日 中村ミトリ氏より穂別町に寄贈 平成13年8月28日 有形文化財登録 登録番号第01-0034号 平成16年1月25日 穂別町ニサナイ地区から現在地に移築保存 【現地掲示資料より 中村家の歴史】 中村家は1600年頃から400年以上続く旧家である。言い伝えではあるが、最初は石川県加賀(現在の金沢市)に居たと伝えられているが、中村家は現在の新潟県上越市高田より北海道へ石油開発のため明治27年に移住した。 中村家は残されている資料から見ますと、高田城下の下小町で中村屋という問屋を営んでいて、銑鉄や縮、蝋、綿など当時の需要量の多い流通品を扱う大きな商家であった。また商売を行う傍ら多くの土地を高田市街やその周囲、郊外に所有し、小作人を使った地主経営を行い、そして貸家経営、金融業も行っていた。 高田町のうち、横町、呉服町、下小町は旅籠役を務め、中でも下小町は加賀藩を始め、北陸諸藩や越後糸魚川藩の参勤交代の旅宿を務め、中村家は糸魚川藩松平家の本陣を務めていた。また富山藩前田家の本陣を務めていたことから、中村家は大名が宿泊する家であった。また、大きな商家であったことから金融業も行いお金を貸していた。 また、加賀藩前田家の財政危機により加賀藩前田利家に仕え藩の財政の確立に務め、のちに加賀藩の大老となった旗本横山家が中村家から融通金を得ていた。その他、越後国糸魚川藩時代から繋がりのあった信濃飯山藩本多家にも、中村家は「御用達」として藩財政の一翼を担っていた。当然の事ながら、国元の高田藩榊原家とも「勝手向き御用達」としての深いつながりを持っていた。このように大きな商家であったが、飯山藩本多家の財政悪化に伴い貸金の返済が不能となり中村家が衰退していったようである。 その後中村家は1890年頃子供に恵まれずに戸主が亡くなったことから、山田家(山田津八郎氏4男・現在の富内在住山田家先祖)から戸主として迎い入れたのが中村平八郎氏である。 |