北海道開拓の村
北海道札幌市厚別区厚別小野幌
旧松橋家住宅 | ![]() |
旧所在地・北海道札幌市中央区北1条東7丁目 建築年代/明治30年(1897)頃 用途区分/農業・土地会社経営・鉄道会社勤務 移築年/昭和56年(1981) |
旧福士家住宅 | ![]() |
旧所在地・北海道札幌市中央区北4条東1丁目1番地 建築年代/明治時代 用途区分/ 移築年/昭和55年(1980) 幕末から明治中期にかけて造船・通訳・気象観測などの分野で活躍し、北海道開拓に貢献した福士成豊が明治中期から大正11年まで住した邸宅である。 |
旧開拓使爾志洋造家 | ![]() |
旧所在地・北海道札幌市中央区南2条西6丁目 建築年代/明治11年(1878) 用途区分/開拓使官舎 |
旧渡辺商店 | ![]() |
旧所在地・北海道枝幸郡中頓別町字中頓別 建築年代/大正前期 用途区分/雑貨店 移築年/平成元年(1989) |
旧来正旅館 | ![]() |
旧所在地・北海道旭川市永山1条19丁目108番地 建築年代/大正8年(1919) 用途区分/旅館兼待合所 移築年/昭和60年(1985) |
旧武岡商店 | ![]() |
旧所在地・北海道日高郡新ひだか町字東静内 建築年代/明治31年(1898) 用途区分/商家(米穀・酒・雑貨・荒物商) 移築年/昭和58年(1983) |
旧近藤医院 | ![]() |
旧所在地・北海道古平郡古平町浜町167番地 建築年代/大正8年(1919) 用途区分/開業医 移築建造物/医院棟・文庫倉 移築年/昭和59年(1984) |
旧近藤染舗 | ![]() |
旧所在地・北海道旭川市1条3丁目右1号 建築年代/大正2年(1913) 用途区分/染物業 移築年/昭和60年(1985) |
青山家住宅 | ![]() |
旧所在地・北海道小樽市祝津3丁目 建築年代/大正8年(1919) 用途区分/漁家 移築建物/母屋・文庫倉・石倉・板倉・米倉・網倉・外便所 移築年/昭和58・59年(1983・1984) |
旧ソーケシュオマベツ駅逓所 | ![]() |
旧所在地・北海道虻田郡喜茂別町双葉14番地 建築年代/明治40年(1907)頃 用途区分/官設駅逓 明治28年(1895)、国は北海道の開拓を進めるために「官設駅逓所」の制度を定め、物資輸送の継立や宿泊施設を必要とする場所に駅逓を設置し、交通網の整備を図った。道内で駅逓所の数は延べ517ヶ所に及んだが鉄道などの交通機関の発展に伴い、次第に機能は失われ昭和22年に全廃されることとなった。 |
旧納内屯田兵屋 | ![]() |
無指定・公開 旧所在地・北海道深川市納内町6-1 建築年代/明治28年(1895) 用途区分/屯田兵 移築年/昭和60年(1985) 納内に屯田兵が入地したのは明治28、29年頃のこと。当初の屯田兵は北辺の警備と農業開拓に従事するため主に士族から募集されたが、明治23年頃からは平民からの募集が主力となり、空知・上川・北見などの北方内陸部に屯田兵村が建設されるようになった。 |
旧岩間家住宅 | ![]() |
無指定・公開 旧所在地・北海道伊達市弄月町157番地 建築年代/明治15年(1882) 用途区分/入植農家 移築年/昭和57年(1982) 当家は旧仙台藩亘理領の士族移民団の一員として明治4年に伊達市に入植した。住宅は入植して11年が経過したのちの建物であるが、かなりしっかりした構造のもので、郷里の大工によって建てられ、仙台地方の建築様式が多く採り入れられているという。 旧領主の視察の際にも立ち寄ったという由緒があり、座敷も整った格式の高い造作となっている。 |
旧樋口家住宅 | ![]() |
無指定・公開 旧所在地・北海道札幌市厚別区厚別町小野幌 建築年代/明治30年(1897) 用途区分/農家 移築年/昭和53年(1978) 樋口家は明治26年に富山県から白石村厚別に移住、当地で米作を行った農家である。周辺には富山県出身者が多く住し、越中部落と呼ばれていたらしい。住宅は郷里・富山県出身の大工によって建てられたもので、広間の造作は郷里富山の様式である「ワクノウチ」を採り入れたものとなっている。材料は周辺の原始林から伐り出したものを使用したといわれている。 |
旧菊田家住宅 | ![]() |
無指定・公開 旧所在地・北海道江別市西野幌149番地 建築年代/明治26年(1893) 用途区分/農家 移築年/昭和63年(1988) 明治19年に新潟県長岡出身の大橋一蔵や関矢孫左衛門等が北越殖民社を結成し、江別の野幌原野の開拓を計画。当住宅はこれに参画した新潟県魚沼出身者が移住直後の明治26年に建てたものである。のちに同じ南蒲原郡出身の菊田常吉が買い受けたという。 |