日本民家集落博物館
大阪府豊中市服部緑地1番2号
泉家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和39年5月29日指定) 旧所在地・大阪府豊能郡能勢町吉野 建築年代/江戸時代(17世紀後半) 移築年月/昭和35年5月 用途区分/農家 日本民家園は国内で最初に作られた民家園である。 急速に進む開発の影で失われていく古きよき時代の遺物たる民家達を大阪を代表する企業がせめてもの罪滅ぼしに残さんと移築費用等を負担して開かれたものである。そのため日本を代表する優れた民家たちが集められている。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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山田家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和39年5月29日指定) 旧所在地・長野県下水内郡栄村上ノ原 建築年代/江戸時代(18世紀中頃) 移築年月/昭和36年1月 用途区分/山村農家 嘗て豪雪地帯の山村として日本の原初的な風情に溢れた地として知られた秋山郷に所在していた農家建築である。積雪から外壁を保護するために茅で覆われた姿は、今や当住宅以外に存在しない。また屋内に入れば、土間奥に掘立柱が残る。もちろん、これも当住宅のみに残されたものである。但し、こうしたは日本の民家建築史上、もっとも古い造作と考えられてきたものの、当住宅の建築年代は江戸中期頃のものである。秘境に近い雛なる集落であったが故に、こうした古式が残ったと考えるか、あるいは単に気候風土の影響に因るものなのか、議論は尽きないところである。 |
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椎葉家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和48年2月23日指定) 旧所在地・宮崎県東臼杵郡椎葉村高尾 建築年代/江戸時代(19世紀中頃) 移築年月/昭和34年5月 椎葉村は九州山地の中央部に位置する山村である。海抜1500mを超す山々に囲まれ、斜面地ばかりの土地柄を逆手に取った焼畑農耕が継承されることでも知られている。当家は昭和30年に電源確保を目的に完成した上椎葉ダムの北側斜面に営まれた高尾集落に所在していた農家で、ダムの完成により住環境が変化し離村が相次いだことから当家も熊本へ転出。住宅は大阪財界の協力により当園に移築されることとなった。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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大井家住宅 | 国指定民俗文化財 (昭和34年5月6日指定) 旧所在地・岐阜県大野郡白川村大牧 建築年代/江戸後期 移築年月/昭和31年9月 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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山下家住宅 | 大阪府指定文化財 (昭和49年3月29日指定) 旧所在地・福井県敦賀市杉箸 建築年代/江戸後期 移築年月/昭和38年1月 用途区分/農家 琵琶湖の北側、越前国の敦賀へと続く北国街道椿坂宿近くの杉箸集落に所在した農家建築である。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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丸田家住宅 | 大阪府指定文化財 (昭和49年3月29日指定) 旧所在地・奈良県吉野郡十津川村込ノ上 建築年代/天保6年(1835) 移築年月/昭和37年3月 用途区分/酒造業・庄屋 指定範囲/主屋・土蔵 紀伊半島の中央部に位置し、奈良県の最南端で和歌山、三重両県に接する十津川村は面積の96%を山林が占める典型的な山村である。年間降水量は3000mmにも及ぶ国内有数の多雨地帯であり、昭和30年代までは焼畑農耕が行われていたというから、かなり独特な生活文化が営まれていたことが容易に想像される。険しい斜面地ばかりの土地柄ゆえに水田を造成する余地は殆ど無く、徳川幕府の世には年貢免除の赦免地として天領となったが、当家はそれほどまでに耕地の乏しい地域にありながら寛政12年(1800)から造り酒屋を営み、天保年間以降は庄屋を務めたというから、村内屈指の富裕な家柄であったと推察される。主屋は山間部特有の造作となっており、山の斜面地を切り拓いて屋敷を構えるため、部屋を横一列に配置し、背面側には落石を防ぐため開口部を設けないなどの工夫が見られる。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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藤原家住宅 | 大阪府指定文化財 (昭和49年3月29日指定) 旧所在地・岩手県紫波郡矢巾町煙山 建築年代/江戸後期 移築年月/昭和39年3月 用途区分/農家 |
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小豆島の 農村歌舞伎舞台 |
大阪府指定有形民俗資料 旧所在地・香川県小豆郡内海町吉田 移築年月/昭和38年3月 |
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旧重光家高倉 | 大阪府指定文化財 (昭和49年3月29日指定) 旧所在地・鹿児島県奄美大島宇検村部連 建築年代/江戸時代末期 移築年月/昭和33年10月 |
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堂島の米蔵 | 無指定・公開 旧所在地・大阪市北区堂島船大工町 移築年月/昭和35年5月 |