福井市おさごえ民家園
福井県福井市月見5-4-48

旧城地家住宅 福井市指定文化財
旧所在地・福井県大野市蕨生字城地出
建築年代/嘉永5年(1852)
用途区分/大地主
移築前の当家の屋敷地は3000坪にも及ぶ広大なもので、濠と土塁に囲まれ、主屋背後の小高い丘には屋敷祠を祀り、その傍らには経塚もあったというから中世の土豪屋敷の体であったようである。代々六右衛門を名乗ることが多く、幕末には苗字帯刀を許された家柄であったらしいが、住宅はその由緒に相応しく、県内の江戸期建築の民家としては最大規模を誇る。また幕末の建築らしく、座敷、仏間、式台などの各部屋は大振りなもので接客空間の発達が著しい。主屋は妻入の建物で、左右に棟の高さが異なる角を張り出しているため、正面からは落棟形式の平入の建物と錯覚してしまうが、上から臨むと丁字型の屋根形状となる。昭和62年の移築解体時にしか判らないことではあるが、座敷周りの壁は木舞も含めて全てが二重に作られているらしい。どうやら普通の家ではないようだ。
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旧岡本家住宅 福井市指定文化財
旧所在地・福井県遠敷郡若狭町有田
建築年代/18世紀前半
用途区分/農家(庄屋)
福井県は若狭国を指す嶺南地方と越前国を指す嶺北地方から成り、民家の建前も両者で著しく異なっていた。嶺南地方に所在していた当住宅は、入母屋造平入の建物に、前方に角を突き出す形を採っているが、角を突き出す手法は主に嶺北地方のもので、嶺南地方では非常に珍しいものである。








旧蓑輪家住宅 福井市指定文化財
旧所在地・福井県越前市八石
建築年代/18世紀前半
用途区分/農家(庄屋)
鯖江と池田を結ぶ国道417号線は山深い地域を横断する道程ながら、意外に平坦路である。名もなき低山を削って形成された谷筋は懐が深く、当住宅が所在していた八田集落も南北を山に挟まれた細長い谷間に所在する。








旧土屋家住宅 福井市指定文化財
旧所在地・福井県あわら市前谷
建築年代/江戸末期〜明治初期
用途区分/農家(大庄屋)








旧梅田家住宅 福井市指定文化財
旧所在地・福井県福井市浄教寺町
建築年代/天保〜弘化年間(1830〜1848)
用途区分/農家・漆掻き
当住宅が所在した福井市浄教寺町は中世の越前国主・朝倉氏の居館が在ったことで知られる一条谷の更に奥山一帯である。南に聳える標高465m程の砥山を越えると、鯖江市の河和田集落に至り、そこは越前漆器の本場として知られる所。当家は農業の傍ら、漆掻きの頭であったと伝えられる家柄で、幕末頃の当主・九左衛門が火災で家を失ったことを契機に、関東まで出掛けて蓄えた財で、永平寺大工に依頼して吟味した欅材を用いて丹念に家作したとのことである。主屋は入母屋造の妻入の形式を採り、大戸口を入って直ぐの土間を角屋を設ける形で東側面に拡張しているが、これは浄土真宗が盛んな土地柄において報恩講で大勢の人々が集まることを想定してのことらしい。また最奥に配置された仏間には仏壇の背後に大きな開戸が設けられているが、これは火災などの非常の際に仏壇を安全に運び出すための工夫であるらしい。宗教との結びつきが強い家作は真宗王国の名に相応しい越前ならではのことである。
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旧山下家板倉 福井市指定文化財
旧所在地・福井県勝山市北谷町小原
建築年代/慶応年間(伝承)










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