遠野ふるさと村
岩手県遠野市附馬牛町上附馬牛5-89-1

佐々木四郎家
(大工どん) 
登録有形文化財 (平成20年4月18日登録)
旧所在地・岩手県花巻市大迫町亀ケ森
建築年代/明治中期 (推定)/平成3年移築
用途区分/農家
遠野市の北方に位置する紫波・大迫地方に所在していた上層農家建築である。余所者には殆ど違いの判らない曲屋建築において、紫波・大迫地方と遠野地方とでは、少し建前を異にするところがあるらしく、前者では上手の座敷を設ける際に上座敷、中座敷、下座敷と梁行方向に3室連続させながらも縁側を設けないことを常とするところ、後者では2室続きで縁側を設ける間取りとするらしい。当住宅も当園に移築した際に紫波・大迫風から遠野風に改めたとのことであるが、何故のことだったのだろうか。屋根形状を母屋は寄棟、馬屋を入母屋とし、母屋屋根の表側中央部に下屋庇を設け、屋根の軒を一段切り込んで、つし二階を設けている。これは養蚕を行うための工夫で、昭和36年(1961)に改造したもの。
桁行20m、梁間10mの大型建物は迫力に充ちている。
川前シメ家
(川前別家)
 
登録有形文化財 (平成20年4月18日登録)
旧所在地・岩手県遠野市土淵町栃内
建築年代/江戸末期(安政年間)/平成3年移築
用途区分/農家
主屋の規模は桁行16m、梁間9.8m
建築当初の直屋から曲屋へと改築した痕跡が残り、遠野の曲屋の発展過程を辿ることができる農家建築である。創建時には土淵町栃内の琴畑集落に在ったが、大正年間に同じ栃内の久保集落に移築されていたものを平成3年に当園に再移築したとのことである。先述のとおり建築当初は直屋であったが、江戸末期までに、屋根の軒を船枻とし、柱立てを石場立から土台立に改め、馬屋を建て増して曲屋としたことが判明している。故に当初の直屋部分は、江戸中期頃まで建築年代が遡る可能性もあると見立てる向きもある。また間取りに関しても、現在は喰い違い六間取となるが、当初は整形四間取であったとされ、チャノマの梁には中二階の痕跡が残る。長年の歴史の中で改変されてきた痕跡をそのまま残した形で民家村に移築された例も珍しい。
 
菊池利喜蔵家
(大野どん)
 

登録有形文化財 (平成18年3月2日登録)
旧所在地・岩手県遠野市附馬牛町東禅寺
建築年代/明治初期
用途区分/農家
平成6年移築
桁行11間、梁間5間



 
鈴木誉子家
(肝煎りの家)
 
登録有形文化財 (平成18年3月2日登録)
旧所在地・岩手県遠野市綾織町
建築年代/江戸末期
用途区分/農家
桁行12間、梁間6間の大規模曲屋の農家建築である。江戸期に建てられ、現存する曲屋としては国指定重文の千葉家に次ぐ規模となる。

 
菊池喜右衛門家
(こびるの家)
登録有形文化財 (平成18年3月2日登録)
旧所在地・岩手県遠野市上郷町
建築年代/宝暦12年(1762)
用途区分/農家(赤川集落の総本家・苗字帯刀の家)
桁行8間、梁間3間半の直屋造



 
菊池サイ家
(弥十郎どん)
 
登録有形文化財 (平成18年3月2日登録)
旧所在地・岩手県遠野市宮守村
建築年代/文化9年(1812)・平成6年移築
用途区分/農家
桁行11間半、梁間4間半の主屋に、桁行6間、梁間4間の馬屋が付属する曲屋造。曲屋造の普及期の遺構。




 
井手明家
(水乃口)

旧所在地・附馬牛町
明治中期




 

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