大名墓

岡藩中川家




その他の写真

岡藩 70440石 (外様)
碧雲寺(大分県竹田市城北町)
入山廟(大分県直入郡久住町岳麓寺)
小富士山墓所(大分県竹田市)

四周を山に囲まれた竹田の町はいつ訪れてもひっそりとしている。地理的条件ゆえに近代化の波に大きく曝されることもなく今日に至り、文化の香り高い雰囲気が漂い、落ち着いた風情を醸す良い町である。しかしながら、「豊後国誌」の編纂で名高い田能村竹田や名曲「荒城の月」の作曲家・滝廉太郎といった文化人の陰に隠れて、その下地を形成した最大の立役者であるはずの藩主・中川家の存在感が今ひとつ薄い。後世における文化人と政治家の評価に何となくアンバランスなものを感じるのは私だけであろうか。
さて中川家は豊臣秀吉の腹臣であった中川清秀を祖とし、戦国時代末に豊後国の覇者・大友氏が除封された後、播州三木から転封された外様大名で、おおよそ豊後国の西半分となる直入郡、大野郡の一部を領有した。
その中川家の菩提寺である碧雲寺は竹田城跡の北側を流れる稲葉川の対岸に所在している。墓所は境内東手の広大な敷地にゆったりと設けられており、現在は「おたまや公園」として行政の手によって整備されている。当墓所には歴代藩主のうち、初代・2代・4代・5代・6代・9代11代の墓塔があり、敷地北側の崖下に沿って築かれた石垣上に白漆喰の練塀を廻し、玉垣に囲まれた宝塔形式の五輪塔が並んでいる。墓域の手前には池泉(龍吟池)が設けられ、池に架かる石橋を渡って参拝するという洒落た形式をとっている。そもそも墓石には覆屋があったようであるが現在は全く残されておらず、唯一、碧雲寺の東隣にある高流寺に金神堂として2代・久盛公の覆屋のみが移築・残存している。向唐破風の付いたバランスのよい霊廟建築である。
また歴代藩主のうち、3代・久清公の墓所は城下北方の大船山の中腹にあり、8代・久貞公の墓所は城下東方の小富士山にある。残る7代・10代藩主は江戸で葬られたとのことである。(07.4.15記)


 

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