大名墓

伊予小松藩一柳家




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伊予小松藩10000石
佛心寺(愛媛県周桑郡小松町新屋敷)
伊予の国に小松藩という藩が存在していたことを、どれだけの愛媛県人は知っているだろうか。
ちょうど四国最高峰の石鎚山の登山口にあたる小さな領域を知行していた。知行は僅かに1万石。
近年、「伊予小松藩会所日記」という本が出版され小藩ゆえに微細に綴られた江戸時代の生活振りが面白いとの評判で、私もオススメである。とにかく忘れられた小藩は、それゆえに藩政時代の風情を残した。菩提寺である城下西方の佛心寺も規模こそ大きくは無いが、何物にも侵されることなく良い雰囲気を醸している。本堂の裏手に建つ建物が恐らく御位牌堂であろうと思われる。また藩の政務が執り行われた会所だったと思われる建物も境内外に残されており、興味深い。
一柳家の墓所は、境内の道路を隔てた南側の小高い佛心山の奥に所在しており、私も最初尋ねたときは探し当てることはできなかったため、町史を参考にして2度目の訪問でようやく探し当てることができた。
かなり簡素な墓所で、2代・直治公の墓所のみが墓塔の前に扇形に敷石を敷いているので、それなりの雰囲気を保っているが、他の歴代藩主の墓所は柱状型の墓塔が建つだけのかなり簡素なものである。伝承では、2代藩主・直治公が「伊予小松藩一柳家の宗家に当る長男・西条藩一柳家の墓塔は五輪塔、次男・川之江藩一柳家は笠付の二之台の墓ゆえに、末弟の小松藩は笠無しの一之台の墓で良い」と墓制を定めたと云われている。云った本人の墓所は、ある程度立派で大名墓としての体裁を保っているが、以後の歴代藩主の墓所は庶民の墓塔とさほど変わらぬ程に始末であるのは、よほど歴代藩主達が質素を旨として善政を敷いていたか、あるいは単に藩の財政が厳しかったのか、どちらかであろう。また初代の墓塔のみは佛心山に隣接する遠見山に所在しているらしい。

        

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