大名墓

岩国藩吉川家




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岩国藩 60000石
洞泉寺(山口県岩国市横山)
関が原の合戦で西軍の総大将となりながらも、敗戦後防長二国の太守として存続した毛利家の最大の功労者は、同じ一族ながら東軍に味方した吉川家であった。
当初この二国は吉川家に与えられるはずであったが、辞退したため本家筋にあたる毛利家が安堵されることとなった。しかし毛利本家は関が原の合戦の敗因は本家と同調しなかった吉川家に一端があるとし、江戸時代を通じて吉川家に対して大名としての格式を許さず、冷遇し続けた。家格の問題は度々発生していたようである。とてもやるせない話である。
菩提寺は岩国では最高の格式を持つというが、規模は大きくはない。
しかし墓所は、白壁の練塀で個々の墓塔を囲み、さらに玉垣で区切られるなど、まるで迷路のような風情の中に巨大な五輪の墓塔が建ち、立派である。




 

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