大名藩

大聖寺藩前田家




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加賀藩前田家の分家支藩である。寛永16年(1639)に金沢3代藩主・前田利常が所領維持策として、次男・利次に富山藩10万石、三男・利治に大聖寺藩7万石を分配して立藩したことに始まる。
石高は入部当初の7万石から、文政4年(1821)の石直しにより10万石となったものの、藩政の実情は慢性的な赤字続きであり、正徳2年には北陸最大と云われた全藩的一揆が勃発している。
藩主墓所は旧大聖寺陣屋跡の南方に所在する藩主菩提寺・実性院の裏手の山中にひっそりと佇む。金沢本藩の儒式の土饅頭とは異なり、仏式の五輪塔を主体とした墓塔群である。墓域も決して広いものではなく、むしろ密集して建つところから廟所形式の本格的な造営は営まれなかったものと推察される。雪国ゆえに石垣を組み、台座を高く上げている点が面白い。


 

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