大名墓

新庄藩戸田家




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国指定史跡 (昭和62年5月12日指定)

新庄藩主戸田家は1424年に家盛の代に秋田県角舘に城を構え戦国大名に名を連ねたとされる。その8代後の政盛の代に至って関ケ原合戦における功により常州松岡(現在の茨城県高萩市)に4万石を知行された後、1622年に国替えにより羽州最上郡と村山郡の一部を封地され6万石の中藩大名となった。以後、明治維新に至るまでの250年間を1代に亘って新庄藩として統治した。
戸沢家の墓所は2箇所に分かれ、字太田に瑞雲院、字上西山に桂嶽寺が営まれている。瑞雲院には、5棟の霊屋があり、されざれ1号棟には初代政盛公、2号棟には3代正庸公、5代正ェ公、3号棟には4代正勝公、4号棟には6代正産公、正令公、5号棟には7代正良公、6号棟には8代正親公、9代正胤公、11代正実公が家族と共に祀られており、桂嶽寺には2代正誠公が祀られている。霊屋は床を石畳とし、欅材の丸柱を立てて壁は柱間に厚板を嵌め落とし、正面入口扉を観音開きで統一している。瑞雲院の建物は茅葺の宝形造で、桂嶽寺の建物は木羽葺(板葺)屋根となっている。

新庄藩戸田家
これだけの数の霊廟建築が残るのは非常に珍しい。第一級の大名墓所。





 

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