大名墓

松前藩松前家




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松前藩は、松前氏によるアイヌ交易の独占権を軸に北海道に成立した日本最北の外様小藩で、安政元年(1854)までは、幕藩体制下において唯一の無高の藩であった。蝦夷島と呼ばれた北海道は、鎌倉時代以降、津軽安藤氏の管轄下にあったが、15世紀半ば頃より和人の進出が進むと、アイヌ民族との間に不和が生じることが増え、長禄4年(1457)にはアイヌ民族最大の蜂起となるコシャマインの蜂起が発生することとなった。この蜂起の鎮圧に最大の役割を果たしたのが上ノ国に拠点を置いていた蠣崎氏で、この後、蠣崎氏は周囲の和人系豪族を臣従させ、永正11年(1514)には拠点を上ノ国から大館(松前)に移し、檜山安東氏の代官たる地位を得ることによって、蝦夷島における唯一の現地支配者となるのである。その後、蠣崎氏は文禄2年(1593)に豊臣秀吉から船役徴収権を公認され、次いで慶長9年(1604)には徳川家康よりアイヌ交易独占権を公認されて松前藩の成立を見るに至るのである。これに先立つ慶長4年(1599)に蠣崎氏は姓を松前氏と改め、翌年には松前館の築造に着手している。藩主墓所は、松前館の山手側に配置された寺院群の最奥に鎮座する法幢寺に所在し、青味がかった石材(越前の笏谷石か?)を使用する石廟形式の墓塔が整然と並ぶ。




 

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