大名墓

三池藩立花家

三池藩 10000石 (外様)
紹運寺(福岡県大牟田市今山)
法輪寺(福岡県大牟田市今山)
福岡県の南端、熊本県に隣接する大牟田市は石炭の町として有名である。1889年から採掘事業を担った三井三池鉱業が最後の石炭坑道を閉めた1997年までの間、この地域の繁栄は石炭とともにあったといっても過言ではない。しかし旧産炭地と称せられる町のいずれもが閉山後の産業構造の転換に失敗し、今に至るまで過疎化の進展を食い止められずにいるが、大牟田市も例外ではなく、現在においても塗炭の苦しみに喘いでいる状況にある。
さて江戸時代において、この大牟田市を中心とする筑後国三池郡を支配した三池藩はわずか1万石ほどの小藩である。藩主・立花家は隣藩・柳川藩主と同姓で縁戚関係にはあるものの、支藩などではなく、れっきとした独立藩である。
そもそも初代藩主・種次公の父・立花直次公は戦国武将として著名な高橋紹運の実子で柳川藩初代・立花宗茂公の弟にあたる。兄・宗茂公は当時、高橋家の主家であった戸次道雪の養子となり、弟・直次公が高橋家を継ぐこととなったが、その後、幕府の命により両名とも立花姓に改名している。
三池藩の歴史としては、1621年に初代藩主・立花種次公が5000石の旗本より1万石に加増され立藩、しかし1806年には6代藩主・種周公が外様ながら幕府の要職・若年寄にまで昇進したにも関わらず、松平定信との路線対立により失脚、7代・種善公は陸奥国下手渡5000石の旗本に左遷させられ、旧三池領は幕府に収公されるという事態に陥っている。
ところで藩主の菩提寺は紹運寺と法輪寺の2ヶ所に分かれるが、三池陣屋の南東、三池山の麓に道を挟んで所在する。
紹運寺は初代種次公の祖父・高橋紹運の名に由来し、現在においても現役の寺として営まれているが、法輪寺については残念ながら廃寺となっており、竹林に囲まれた墓所のみが残されているに過ぎない。
紹運寺には初代・種次公および6代・種周公の嫡子・種徳公(非藩主)の笠塔婆形式の墓塔が並立している。どちらも相応の大きさではあるが、特に種次公の墓塔は定型化されていない朴訥な雰囲気が漂う。この2基の藩主墓の周囲には一族のものと思しき墓塔も残されているが、若干荒れ気味である。また法輪寺墓所には、2代・種長公、3代・種明公、4代・貫長公、5代・長熈公の墓塔がある。いずれも笠塔婆形式のもので、一列に並んだ各墓前には多くの石燈籠が林立し壮観である。こちらも数基の石燈籠は倒れたままになっており、少々荒れ気味である。小藩の割には規模は大きく、立派なものである。  (07.4.23記)